温故知新(おんこちしん)ー2
とーとです。ぼちぼちです。
故事成語「温故知新」の続き。
前回は、どうも、「新しきを知る」方に話が進んだように思う。韓非子の「古きを温める」ことへの批判から始まったからね。
古いことは価値のないことと決めつけるのはよくないね。
日本の昔話で、老人は役に立たないからと、「捨ててしまえ」という命令を出した殿様の話があるのを知っているかな。
父親か母親かはっきりしないけど、年老いた親を捨ててしまえという「おふれ」にそむいて、密かにかくまっていた息子が、その親の知恵を借りて、隣の強国から突きつけられた難題を解いて、殿様を助けたので、老人を敬う国になったという話だけど‥。めでたしめでたし。
もしかしたら、これも、中国の故事の焼き直しの可能性もあるかもしれないね。
とーとの覚えている限りでは、その難問とは
「そっくりな馬のどちらが親で、どちらが子か見分ける」
「くねくねと曲がった穴に糸を通す」
「灰で縄をなう」
だったような気がする。君には解けないだろう? えっ答えを知ってたの?
昔話とは反するが、お年寄りは、利益があるからといった打算的なことで敬うのではないと思う。
いろいろあって、それを乗り越えてきたか、受け流してきたかして、今日を生きているその存在にこそ敬意を払うべきだ。しかし、高速道路を逆走したりはしてほしくない。
君も年寄りである「とーと」を軽蔑せずに、敬うように。(こんな時だけ都合よく年寄りになる)
さて、「今この瞬間の自分は過去の自分とは別人だ」というのも一つの真理ではある。
しかし、今日があるのは過去の積み重ねの上にあるのも事実だよね。
昔の人の知恵と工夫の積み重ねがあって、現在の豊かな世界がある。
昔のことを掘り起こすのは楽しい。今の自分とは別の人生を、それが仮想であるにせよ、生きることができる。だからかどうか、とーとは歴史が好きだ。歴史の本でいろいろなことを学んだ。
しかし、昔の伝記の本って、その人が、いかに大変な生い立ちで、いかに苦労して成功をおさめたかというタッチでほとんど書かれていたなあ。苦労しないと、成功してはいけないという、歪んだ認識が刷り込まれたおそれがある。楽しくて成功した人はたくさんあったと思うんだけど。
そもそも、すごいことを楽しいと思って、苦痛に感じずに進めた人が成功者の場合が多いのではないかと思うのだがどうだろう?
楽しいことに、のめり込もう。それでみんながハッピーになったら最高!
話が、脱線しっぱなし。前回からそうだ。今日はお酒は入っていないよ。おかしいなあ。
まあ、それもいいじゃない。学校の授業じゃないのだから。
次回はなんの話しにしようか。
今日はこれまで。