轍鮒の急(てっぷのきゅう)〜1
とーとです。今日も発泡酒を飲んでしまいました。
また、脱線するでしょうが、それにこのブログの意味があるのだと、開き直っています。
さて、今回の故事成語だけど、読める?
「てっぷのきゅう」と読むんだよ。
「轍」とは「わだち」車輪の跡のくぼみだね。
「鮒」は魚の「ふな」のこと。
「道家」とは、「無為自然」を説いた人たちのこと。この「無為自然」がどういうことか、あまりにも深いし、解説の本も何冊も出ているくらいで、とーとの頭では一口になどとても説明できない。とりあえず作為的なことを嫌った人々と仮にしておくね。
「荘子」についてはエピソードが豊富だからまた、これからふれていくことになると思う。
意味は、「大変なんだから、そんなに気の長い話なんかされても困る!急いでるの!」といったところ。「後の千金」などという言葉もあるよね。
まあ、そんなことで、無理やりなにかを行うのは良くないと考える人たちだから、荘子はそんなに豊かではなかった。
食べるものに困って、友人に食料を貸してもらいに行ったんだ。
友人は、「もう何日かしたら、自分の領地から税金が入るから、たくさんお金を貸してあげるよ」と答えたんだ。
すると荘子はこう返したんだ。
「ここに来る途中で、車のわだちの、くぼみにたまった水の中にいる魚に会った。魚は、『どうか、少しの水を与えてほしい』と私に頼んだ。
私は『これから、南の国に旅に出る。そこには大きな川が流れているから、そこからたくさんの水を持ってきてあげるよ』そう言った。
魚は怒って『そんなことをしているうちに、水が干上がって私は死んでしまう。干物屋さんで私を探すがいいやい!』と言った。
今の私はこの魚と同じ気持ちだ。」
名高い荘子様も、空腹には勝てなかったとみえて、よっぽど腹がたったのだろうね。
誰でも腹が減る。誰でも思う。「それにつけても金のほしさよ」
聖人とされるような人でもそうだったんだろうね。生きてかなくてはならないから。
次回は、「それにつけても金のほしさよ」について語ることにする。
すばらしく脱線してゆくなあ。
短いけれど、今日は、これまで。