とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

轍鮒の急(てっぷのきゅう)〜1

とーとです。今日も発泡酒を飲んでしまいました。

また、脱線するでしょうが、それにこのブログの意味があるのだと、開き直っています。

 

さて、今回の故事成語だけど、読める?

「てっぷのきゅう」と読むんだよ。

「轍」とは「わだち」車輪の跡のくぼみだね。

「鮒」は魚の「ふな」のこと。

 

お話は、「荘子」という「道家」という思想の人のエピソード。

道家」とは、「無為自然」を説いた人たちのこと。この「無為自然」がどういうことか、あまりにも深いし、解説の本も何冊も出ているくらいで、とーとの頭では一口になどとても説明できない。とりあえず作為的なことを嫌った人々と仮にしておくね。

荘子」についてはエピソードが豊富だからまた、これからふれていくことになると思う。

 

意味は、「大変なんだから、そんなに気の長い話なんかされても困る!急いでるの!」といったところ。「後の千金」などという言葉もあるよね。

 

まあ、そんなことで、無理やりなにかを行うのは良くないと考える人たちだから、荘子はそんなに豊かではなかった。

食べるものに困って、友人に食料を貸してもらいに行ったんだ。

友人は、「もう何日かしたら、自分の領地から税金が入るから、たくさんお金を貸してあげるよ」と答えたんだ。

 

すると荘子はこう返したんだ。

「ここに来る途中で、車のわだちの、くぼみにたまった水の中にいる魚に会った。魚は、『どうか、少しの水を与えてほしい』と私に頼んだ。

私は『これから、南の国に旅に出る。そこには大きな川が流れているから、そこからたくさんの水を持ってきてあげるよ』そう言った。

魚は怒って『そんなことをしているうちに、水が干上がって私は死んでしまう。干物屋さんで私を探すがいいやい!』と言った。

今の私はこの魚と同じ気持ちだ。」

名高い荘子様も、空腹には勝てなかったとみえて、よっぽど腹がたったのだろうね。

 

誰でも腹が減る。誰でも思う。「それにつけても金のほしさよ」

聖人とされるような人でもそうだったんだろうね。生きてかなくてはならないから。

 

次回は、「それにつけても金のほしさよ」について語ることにする。

すばらしく脱線してゆくなあ。

 

短いけれど、今日は、これまで。