とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

驥尾に付す(きびにふす)〜1

とーとです。今日は落ち込んでます。

発泡酒も飲みました。でも、落ち込んでいます。

こんな日もあります。

 

気を取り直して、今日の故事成語です。

 

「驥(き)」とは、名馬のことです。「尾(び)」は、言うまでもなく、尻尾のことです。

これに、くっついて行く。ということです。

 

ハエが、遠くまで走れる馬の尻尾につかまっていれば、すごく遠くまで行くことができる。そんな言葉です。

現在では、立派な人の後について行けば、自分もそれなりの恩恵にあずかれる。そんな感じで、自分を謙遜したりするときに使うみたいです。

 

もともとは、孔子の弟子に顔回(がんかい)という、すごく才能がある人がいたけれど、いくら才能があって優秀でも、孔子の弟子になっていなければ、そんなに有名になってたたえられずに、生涯を終えていただろう。そういう記述がもとになっています。

 

ついて行く人を間違えると、とんでもない目にあうので、気をつけた方がいいよ。

それを見分ける目がないと、単純に「運が悪かった」などと言い訳するはめになる。

自分では道を切り開けないから、誰かのところにくっついて、成功したら、楽して、おこぼれをもらおう。などと考えているのは、とーとだけではないはずだ。

 

しかし、もともともの意味から考えると、尻尾について行くと言いながら、それも楽ではないだろうなあという感じだね。

振り落とされないように、真剣にしがみついていかなくてはならない。

この馬でよかったか。競馬じゃないけど、どの馬にするか選ばなくてはいけないし。

 

顔回という人は、師匠である孔子に、しっかりと学んだのだろう。そして、常に、師匠である孔子に問いかけて、その答えに感銘を受けたからこそ、確信を持って師匠にしっかりとついて行き、教えを自分のものにしていったのだと思う。

 

ハエであっても、馬とは違う生き物で、ハエにはハエの人生がある。

馬の尻尾についていきながらも、この人でよかったのか、常に問う必要がある。遠くまで行けなくても、自分で飛ぶこともできるのだ。

 

馬の立場になると、先生というのは、常に生徒から問われる存在だと言えるよね。

勝手に尻尾につかまられて、常に質問にさらられる。先生も楽ではないなあ。

教えると行くことは、教えられることでもあると聞いたことがある。

馬も. ハエを連れてくことで、心の慰めになったのだろうか。

 

テンションあげるのがしんどい!

今日は、ここまで。