とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

塞翁馬(さいおうがうま)〜1

とーとです。こんなブログでも、家族以外に読んでくれている人がいるんだなあ。

深く感謝申し上げます。

 

今回の故事成語「塞翁が馬」とても有名なやつをチョイスしました。

 

知っていると思うけどおさらいするよ。

 

塞翁(さいおう)とういのは、「要塞(とりで)」のそばに住んでいるおじいさんといったところ。

おじいさんが飼っていた馬が逃げてしまった。

まわりの人がとても気の毒がったが、おじいさんは、

「こんなめでたいことはない」と言っていた。

やがて、逃げた馬は、立派な馬を連れて戻ってきた。

まわりの人は「良かったね」と祝ったが、おじいさんは、

「これは、不幸なことだ」と言う。

やがて、おじいさんの息子が、馬から落ちてけがをしてしまった。

まわりの人は、気の毒にと、お見舞いに行ったが、おじいさんは、

「よかった、よかった」と言っている。

そのうちに、戦争が起こり、若者は兵士として戦い、多くの人が戦死してしまった。

おじいさんの息子は、ケガをしていたため、戦争に行かずに済んで、長生きできた。

 

こんな話だったね。

 

本来は、「人の世は何が幸せになり、何が不幸になるのかわからない」という意味だったのが、「目先のことだけで、悲しんだり、喜んだりしてはいけない」というふうにもなったそうだ。

 

もう亡くなった、とーとの父さん(君のおじいさん)は、「塞翁というのは、ただのへそ曲がりだった」と断言していた。それが正しいかは、とーとにはわからない。

 

「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」ということわざもある。

おじいさんの言ったことは、未来を見通せるとしたらすごいけど、やはり、目先の出来事について言っているだけで、先の先まで見通している発言ではないようだね。

 

やはり、何がラッキーで、何が アンラッキーなのか、決めつけてはいけないのだろうね。

ポジティブな人は、全てを前向きに解釈して、

転んでも、「骨を折らなくてラッキー」

泥棒に入られても、「強盗で殺されなかった分ラッキー」

などと考えるそうな。

 

とーとなんか、なにかいいことがあっても、

「ここで、運を使い果たしてしまった。あと、どんなひどい目に合うか心配だ」

などと、ネガティブの極みの発送をしてしまい。いかんいかんと打ち消している。

 

どうせなら、明るく楽しく、自分に起ることのすべてを、喜びとして受け止めていきたいものだね。

 

まあとにかく

今日はここまで。