塞翁馬(さいおうがうま)〜1
とーとです。こんなブログでも、家族以外に読んでくれている人がいるんだなあ。
深く感謝申し上げます。
今回の故事成語「塞翁が馬」とても有名なやつをチョイスしました。
知っていると思うけどおさらいするよ。
塞翁(さいおう)とういのは、「要塞(とりで)」のそばに住んでいるおじいさんといったところ。
おじいさんが飼っていた馬が逃げてしまった。
まわりの人がとても気の毒がったが、おじいさんは、
「こんなめでたいことはない」と言っていた。
やがて、逃げた馬は、立派な馬を連れて戻ってきた。
まわりの人は「良かったね」と祝ったが、おじいさんは、
「これは、不幸なことだ」と言う。
やがて、おじいさんの息子が、馬から落ちてけがをしてしまった。
まわりの人は、気の毒にと、お見舞いに行ったが、おじいさんは、
「よかった、よかった」と言っている。
そのうちに、戦争が起こり、若者は兵士として戦い、多くの人が戦死してしまった。
おじいさんの息子は、ケガをしていたため、戦争に行かずに済んで、長生きできた。
こんな話だったね。
本来は、「人の世は何が幸せになり、何が不幸になるのかわからない」という意味だったのが、「目先のことだけで、悲しんだり、喜んだりしてはいけない」というふうにもなったそうだ。
もう亡くなった、とーとの父さん(君のおじいさん)は、「塞翁というのは、ただのへそ曲がりだった」と断言していた。それが正しいかは、とーとにはわからない。
「禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」ということわざもある。
おじいさんの言ったことは、未来を見通せるとしたらすごいけど、やはり、目先の出来事について言っているだけで、先の先まで見通している発言ではないようだね。
やはり、何がラッキーで、何が アンラッキーなのか、決めつけてはいけないのだろうね。
ポジティブな人は、全てを前向きに解釈して、
転んでも、「骨を折らなくてラッキー」
泥棒に入られても、「強盗で殺されなかった分ラッキー」
などと考えるそうな。
とーとなんか、なにかいいことがあっても、
「ここで、運を使い果たしてしまった。あと、どんなひどい目に合うか心配だ」
などと、ネガティブの極みの発送をしてしまい。いかんいかんと打ち消している。
どうせなら、明るく楽しく、自分に起ることのすべてを、喜びとして受け止めていきたいものだね。
まあとにかく
今日はここまで。