とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)〜1

とーとです。毎日なにかとありますね。

 

こんな調子で、故事成語を題材にしてブログをつづけているけれど、いいのかなあと、ふと思ったりします。

「私生活のことは出さないように」とのその筋からのきついお達しなので、笑えるようなエピソードに乏しく、積み重ねて来た考えを述べているだけなので、きっと、たいくつなものになっているだろうと察してはいます。

 

いつまで続くかわかりませんが、新しい時代を生きる君たちに、中途半端に古い時代から生きている親父が、もしかしたら、なにかの足しになるかもしれないと思って書く、遺言のようなものだと思って読んでくれればありがたいです。

誤解しないでね!まだ、当分、死ぬつもりはないよ。まだまだ、楽しい思い出をいっぱい作っていくのだからね。

 

さて、「五十歩百歩」だけど、意味は有名だから知っているよね。

 

どちらもたいした違いはないこと。少し程度のちがいはあっっても、同じようなものだということ。

 

戦争で、逃げ出して、50歩で立ち止まった兵士も、100歩まで逃げた兵士も、逃げたということにかわりはないということだね。

 

王様がいた。自分の国の政治に熱心な人だった。一生懸命いろいろなことをして来たから、暮らしやすい方の自分の国に、隣の国から人が移住して来て、人口が増えて、国の力が高まるのを期待していた。

しかし、がんばっても、いっこうに、自分の国にやってきて住み着いてくれる人がなく、人口は増えない。

 

孟子(もうし)という有名な人がいる。孔子(こうし)の流れを受け継ぐ儒家(じゅか)のひとで、自分の理想とする政治をしてくれる王様を探して、いろんな国をまわり、進言していた人だ。

最後には、高すぎる理想を受け入れてくれる国がなく、弟子の教育に力を注いだそうだけど。

 

王様は、諸国をめぐっているうちに、自分の国にやってきた孟子(もうし)に、

「なぜ、こんなに頑張っていい政治をしているのに、自分の国に移住してくる人がいないのでしょうか?」と質問した。

 

その時の、孟子(もうし)の答えが、先の、

「50歩逃げた兵士と、100歩逃げた兵士が違うのですか?」

というたとえ話になる。

 

孟子(もうし)の理想は高く、その目から見れば、王様がやっている目先だけの人気取りが、他の国の政治とそう違わないのだということを、はっきりと言ったんだね。

 

人々が、厳しい政治に苦しんでいるのは、少しの程度の違いだけで、大差はないのだと。

 

孟子(もうし)のことにくわしい人は、いかにも孟子らしい話だと理解していると思う。

 

宿題を、全然やってこなかったひとも、数学だけやってきて、国語の宿題はやってこなかって人と、やってこなかったということにかわりはないという理論に、君はなっとくできるかなあ?

少しきびしすぎるよね。

 

続きは次回。

今日はこれまで。