五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)〜1
とーとです。毎日なにかとありますね。
こんな調子で、故事成語を題材にしてブログをつづけているけれど、いいのかなあと、ふと思ったりします。
「私生活のことは出さないように」とのその筋からのきついお達しなので、笑えるようなエピソードに乏しく、積み重ねて来た考えを述べているだけなので、きっと、たいくつなものになっているだろうと察してはいます。
いつまで続くかわかりませんが、新しい時代を生きる君たちに、中途半端に古い時代から生きている親父が、もしかしたら、なにかの足しになるかもしれないと思って書く、遺言のようなものだと思って読んでくれればありがたいです。
誤解しないでね!まだ、当分、死ぬつもりはないよ。まだまだ、楽しい思い出をいっぱい作っていくのだからね。
さて、「五十歩百歩」だけど、意味は有名だから知っているよね。
どちらもたいした違いはないこと。少し程度のちがいはあっっても、同じようなものだということ。
戦争で、逃げ出して、50歩で立ち止まった兵士も、100歩まで逃げた兵士も、逃げたということにかわりはないということだね。
王様がいた。自分の国の政治に熱心な人だった。一生懸命いろいろなことをして来たから、暮らしやすい方の自分の国に、隣の国から人が移住して来て、人口が増えて、国の力が高まるのを期待していた。
しかし、がんばっても、いっこうに、自分の国にやってきて住み着いてくれる人がなく、人口は増えない。
孟子(もうし)という有名な人がいる。孔子(こうし)の流れを受け継ぐ儒家(じゅか)のひとで、自分の理想とする政治をしてくれる王様を探して、いろんな国をまわり、進言していた人だ。
最後には、高すぎる理想を受け入れてくれる国がなく、弟子の教育に力を注いだそうだけど。
王様は、諸国をめぐっているうちに、自分の国にやってきた孟子(もうし)に、
「なぜ、こんなに頑張っていい政治をしているのに、自分の国に移住してくる人がいないのでしょうか?」と質問した。
その時の、孟子(もうし)の答えが、先の、
「50歩逃げた兵士と、100歩逃げた兵士が違うのですか?」
というたとえ話になる。
孟子(もうし)の理想は高く、その目から見れば、王様がやっている目先だけの人気取りが、他の国の政治とそう違わないのだということを、はっきりと言ったんだね。
人々が、厳しい政治に苦しんでいるのは、少しの程度の違いだけで、大差はないのだと。
孟子(もうし)のことにくわしい人は、いかにも孟子らしい話だと理解していると思う。
宿題を、全然やってこなかったひとも、数学だけやってきて、国語の宿題はやってこなかって人と、やってこなかったということにかわりはないという理論に、君はなっとくできるかなあ?
少しきびしすぎるよね。
続きは次回。
今日はこれまで。