知魚楽(うおのたのしみをしる)〜1
とーとです。へろへろです。
暑さにまいりました。今は下書きを書いている段階なので、これが公開されるころには、涼しくなっていてほしいと願っています。
おそうめんは、熟成させたものが美味しいとのことで、去年いただいたものを平気で食べている話をしたら、職場の女性に、「私は、去年のものは危ないから捨てたよ。よくおなかこわさないね」とあきれられています。体は大丈夫ですが、常温保管した、昨年いただいたおそうめんはだいじょうぶなのか、また調べて教えてください。事実を知るまでは食べ続けます。
さて、今回は、「知魚楽(魚の楽しみを知る)」です。
この故事成語については、ノーベル物理学賞を受賞された、湯川秀樹博士の随筆があまりにも有名で、はっきり言って、とーとが、何かを言うのは恐れ多いにもほどがあるというものなのだ。
しかし、まあ、知らない人だっているかもしれないので、おおよそのことを話すね。
荘子(そうし)と、その議論相手の恵子(けいし)との会話になってる。
2人が川に遊びに行った。
荘子が言う。
「魚が泳いでいる。これこそ魚の楽しみだ」
恵子がすかさず上げ足を取る。
「君は魚じゃない。どうして魚が楽しいなんてわかるんだい」
荘子が返す。
「君はぼくじゃない。なぜ、ぼくが魚の楽しみを知らないとわかるんだい」
恵子が勝ちほこって言う。
「ぼくは君ではない。君が魚の気持ちをわかっているかはわからない。君は魚じゃない。だから、君は魚の気持ちはわからない」
荘子がまとめる。
「最初に君が、私に『どうして魚が楽しいなんてわかるんだい』とたずねたとき、君は(荘子は魚じゃないから魚の気持ちがわかるはずがない)とわかっていたんだよね。それと同じように、ぼくも、魚が泳いでいるのを見て、魚の気持ちがわかったんだよ」
なんか、禅問答みたいで、頭がこんがらがるような話だね。
荘子(そうし)と恵子(けいし)は、たびたびこのような議論を楽しんでいたらしい。
とーとも魚になって、水風呂で、およぐことにする。
泳げない君には、とーとの楽しみはわからないだろうなあ。
暑いから、今日はここまで。