とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

知魚楽(うおのたのしみをしる)〜1

とーとです。へろへろです。

 

暑さにまいりました。今は下書きを書いている段階なので、これが公開されるころには、涼しくなっていてほしいと願っています。

 

おそうめんは、熟成させたものが美味しいとのことで、去年いただいたものを平気で食べている話をしたら、職場の女性に、「私は、去年のものは危ないから捨てたよ。よくおなかこわさないね」とあきれられています。体は大丈夫ですが、常温保管した、昨年いただいたおそうめんはだいじょうぶなのか、また調べて教えてください。事実を知るまでは食べ続けます。

 

さて、今回は、「知魚楽(魚の楽しみを知る)」です。

 

この故事成語については、ノーベル物理学賞を受賞された、湯川秀樹博士の随筆があまりにも有名で、はっきり言って、とーとが、何かを言うのは恐れ多いにもほどがあるというものなのだ。

 

しかし、まあ、知らない人だっているかもしれないので、おおよそのことを話すね。

 

荘子(そうし)と、その議論相手の恵子(けいし)との会話になってる。

2人が川に遊びに行った。

荘子が言う。

「魚が泳いでいる。これこそ魚の楽しみだ」

恵子がすかさず上げ足を取る。

「君は魚じゃない。どうして魚が楽しいなんてわかるんだい」

荘子が返す。

「君はぼくじゃない。なぜ、ぼくが魚の楽しみを知らないとわかるんだい」

恵子が勝ちほこって言う。

「ぼくは君ではない。君が魚の気持ちをわかっているかはわからない。君は魚じゃない。だから、君は魚の気持ちはわからない」

荘子がまとめる。

「最初に君が、私に『どうして魚が楽しいなんてわかるんだい』とたずねたとき、君は(荘子は魚じゃないから魚の気持ちがわかるはずがない)とわかっていたんだよね。それと同じように、ぼくも、魚が泳いでいるのを見て、魚の気持ちがわかったんだよ」

 

なんか、禅問答みたいで、頭がこんがらがるような話だね。

荘子(そうし)と恵子(けいし)は、たびたびこのような議論を楽しんでいたらしい。

 

とーとも魚になって、水風呂で、およぐことにする。

泳げない君には、とーとの楽しみはわからないだろうなあ。

 

暑いから、今日はここまで。