知魚楽(うおのたのしみをしる)〜2
とーとです。
コンビニでくじを引いたら、トイレの洗剤が当たりました。ラッキーです。
さて、魚の楽しみは、水の中を自由に泳ぎまわることだと、荘子(そうし)は言ったね。
魚の苦しみは、なんといっても、人につられてしまうことかな。
君が初めて海釣りをしたときのことを覚えているかな?
君の、人生で初めて釣り上げた海の魚は、海にはいないはずの川魚「ウグイ」だった。
生命力が旺盛な魚なので、海水と川の水が混じるところでも、たくましく生きているらしい。
あれから、釣りをしていないなあ。
とーとの子供のころは、夏といえば、カブトムシ取りと、魚釣りだった。毎日のように川に釣りに行っていた。
餌なんて、小麦粉を水でこねたものを、釣り針の先に少しつけただけで、ウグイやハヤなどが簡単に釣れた。
鮎(アユ)は、大人が釣るものだった。今はほとんどの人が、なわばりを持つ習性を利用した友釣りを楽しんでいるが、昔は、みんな毛針で釣っていた。
とーとのお父さん(君のおじいさん)も毛針での鮎釣りが大好きで、仕事をそっちのけで釣りに行って、おばあちゃんに怒られていたなあ。
やってはいけない魚の取り方というものもある。誓ってとーとはやっていないが、先輩から聞いたのは「ビリビリ」とよばれる、バッテリーをつかって、魚を集団感電させてしまい、捕まえる方法をした話だ。
何しろ、犯罪だから、闇夜にそっとやるのだそうだ。
何人かで、「ビリビリ」をやって、たくさん浮き上がって来た魚の中から、貴重な鮎だけを選んで持って帰らなくてはならない。しかし暗いから、見ただけではわからない。
そこで、鮎は、ほのかにスイカの香りがするのが、生臭いだけのウグイなどとは違うからと、つかんでは、鼻に近づけてクンクンと匂いをかぎ、これは鮎だからバケツに入れる。こっちは、ウグイだから捨てていく、と仕分けて、持ち帰って見てみたら、ほとんどウグイだったそうな。
最初に持った鮎のにおいが手に残り、鮎以外の魚でも、鮎のにおいがするように感じてしまったんだろうと、先輩は笑ってた。悪いことはできないねえ。
釣りが、残酷だと言う人もけっこう多いかもしれない。
食べればかわいそうではないと言う人もいるが、食べ物に困ってるわけでもないでしょ!などとやり返されたりもする。
スポーツフィッシングなどと言って、キャッチアンドリリースやっている人も、結局魚にかわいそうなことしてるだけじゃない!などと容赦がない。
でも、とーとの知る限り、釣りの好きな人って、優しくていい人が多いんだよなあ。
体験として思うのは、やはり人には野生の血というものが、いくら文明、文化の発達した世界になじんでいても、残っているのだろうなあ。ということ。
釣竿を伝わる感触は、やはり、快感を伴うものだ。命の振動をいただいているのかもしれない。
西洋では、釣りのうまくなる条件とは、
短気であること
女好きであること
ぼんやり待っているだけでなく、どうやれば釣れるのか色々工夫するのが楽しいのだろうね。
太公望(たいこうぼう)というひとは、釣り針のない糸を垂らして、川のほとりに座り、自分を見出してくれる王さまが現れるのを待っていたという伝説がある。
また、この人について、語るときがくるかもしれない。
思い出話になっちゃった。
今日はここまで。