曳尾於塗中(おをとちゅうにひく)〜1
とーとです。
まだ疲れが抜けません。
このブログでは、正体がわかるような、プライベートについては触れないという制約があり、具体的にどうこう言えませんが、無理がたたって、まだ、だるいです。
中畑清さんという、元プロ野球選手を知っているかな?とても有名で、名選手で、監督までやって、プロ野球解説や、タレントまでやってる人なんだけど、新人選手の時代に、
「とうだ、調子は?」
と聞かれて、
「まあまあです」
と答えたら、
「バカもん。そんな答えでは試合に使ってもらえないぞ!常に『絶好調です』と答えろ!」
と怒られて以来、「絶好調です!」と答えて、それが、キャッチフレーズになった人だ。
そのとおりの明るい人柄で、みんなに愛されている。
このフレーズに巡り合っていなくても、中畑さんは明るく活躍できたのだろうか?
できたかもしれないが、とにかく、言葉の力は大きいと思う。
「言霊」というものもある。
「言葉には魂が込められている」という日本古来の思想だ。
「だるい」「疲れた」はやめて、「絶好調!」と叫ぶようにしよう。
しかし、今日は、早めに寝かせてくれ。
さて、「尾を塗中に引く」は「泥中に尾を引く(でいちゅうにおをひく)」の方が一般的かもしれない。
おなじみ「荘子(そうし)」の話
王様が、荘子の評判が高いことを聞いて、家来を使者にして、政治を任せるために。自分のところに招こうとした。
荘子は釣りをしていた。
使者が、王様のところにに来るように言うと、荘子は振り向きもせずに言った。
「王様のところには、神聖な亀の甲羅(こうら)があって、大切に布に包まれ、箱に入れられて祭られていると聞いています。この亀は、このように、死んで貴重な宝として貴ばれることを望んだか、生きて、泥の中で、尻尾を引きずりながら生きるほうを望んだか、どちらだと思いますか?」
使者が答える。
「それは、泥の中で生きるほうを望んだでしょう」
荘子は言った。
「お帰りください。私も泥の中で尾を引きずって生きているほうを望みます」
けっこう有名な話だから、知っている人も多いだろうなあ。
中国の、春秋(しゅんじゅう)、戦国(せんごく)と呼ばれる時代には、諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれる人々が、自分の主張を展開し、あるいは、理想の国づくりを目指し、生き方を主張し、成功法則を見出そうとしてきた時代だった。
そのなかで、老子(ろうし)と並んで道家(どうか)の始祖とも言われる荘子という人は、世に出て、理想の国づくりを目指すなどとは反対に、
「余計なことをするからおかしくなる。人のちっぽけな価値判断で物事をはかろうとするからうまくいかなくなる」
そんなことをとなえていたらしい。(とーとの知識はあさはかなので、もっと深い思想なのだと思うがその考えの一部はこんなことで、いいだろうと思っている)
そんな人らしい受け答えだと思う。
今日はここまで。
以下次回。