狡兎死走狗烹(こうとししてそうくにられる)〜2
とーとです。
少しずつ、進んでいます。
ときに、大切だった人との思い出を振り返りながら、それでも、前に進んでいます。
よくわからないことだらけです。当然、失敗のリスクはあります。眠れないこともあります。
それでも、決めなくてはいけないことが、たくさん出てきます。
思い切って「決める」
それで前に進むので、まあ、後悔することがあっても仕方ないと思ってやってます。
さて、「狡兎死して走狗煮られる」の続きだよ。
とーとは、ひとりひとりの個人というのは、けっこう信用できるけど、組織が関わると、たちどころにうさんくささを感じるという先入観を持っている。
仲間同士の集まりであるうちはいいけど、国家、会社、組合、教団など、組織だったものになると、個人の意思が、集団の意向に押しやられてしまう感じがする。
組織ができると、それ自体が大きくなっていくことを目指さざるを得なくなる。
目的を達して、自然消滅することはできない。
うまく、方向転換してやっていければまだいいが、自分の組織に都合のいいような理屈をつけて正当化し、さらに大きくなろうとしたり、既得権を守ろうとしたりするようになる。
おそろしいもので、個人ではとても善良な良識ある人でも、自分が属する組織のためになると、盲目になってしまうことがある。善良な人であればあるほど、その傾向は強いかもしれない。
組織とは、個人を飲み込んでしまう一面を持っている。
確かに、ひとりよりも大勢の方が力が出せる。
人がたくさん集まれば、それなりのルールが必要になり、共通の理念を持つことも重要になる。
健全に、その組織に属する一人一人が大切にされる組織であり続けることは難しい。
社員の犠牲の上に会社が成り立っているのだとすれば、それは、不健全だ。
ヒトは、今、地球上で、繁栄をみている。
たぶん、あらゆる生命が、他者を押しのけて、自分の種族を、自分の遺伝子を、より多く次代に残すことを宿命づけられているのだと思う。そのための共存や共生もあるけど。
仏教でいうところの「修羅(しゅら)」の根元がみえるような気もする。
目的を達した時点で、その組織は、一度解体して、次の目的を目指す組織が作られるのならいいけれど、変な欲に惑わされると、そういうことができなくなる。欲だか正義だかわからなくなる。
そして、内部の権力闘争が始まってしまう。
「狡兎死して走狗煮られる」こともあれば、飼い犬が、主人を噛み殺してしまうこともあるだろう。
君も、地域、学校などの組織に属する存在だ。
その中で、自分を押し殺さなくてすむように、歩んで欲しい。
将来、仕事についたら、やはり、なんらかの組織に属するのだろう。
その組織が、属する人ひとりひとりを大切にする組織であることを願う。
脱線はしたが、七面倒な話になてしまった。
今日は、ここまで。