狡兎死走狗烹(こうとししてそうくにられる)〜3
とーとです。
ご承知のように、少し、「うつ」になりやすい傾向があります。
はた目からみると、たいしたことがないことでも、手をつけるのに大きなエネルギがーいります。
やってしまうと、まあなんとかなるのですが、それまでがきつい。
周囲は、「むりしないでね」とことばをかけてくれたりしますが、
「無理させて
無理をするなと
無理を言い」
と、昔聞いた川柳を披露したところ、好評だったりしています。
もちろん、私の作品ではありません。
さて、前回から、「狡兎死して走狗煮られる(こうとししてそうくにられる)」という故事成語からだいぶはずれているけど、もう少しはずれた話を続ける。
とーとは、最近、本を読まなくなった。というか、読めなくなってきた。
病気が進んでいるバロメーターかもしれないが、楽しかった読書にも、エネルギーが必要になってしまったのはさびしい限りだ。
だから、知識も、古いものになってしまうが、いままで、歴史の見方という点で大きな影響を与えてくれた人が何人かいる。
梅原猛(うめはらたけし)先生
井沢元彦(いざわもとひこ)先生
堺屋太一(さかいやたいち)先生
などが、思いうかぶかなあ。
今回、「組織は成長を宿命づけられている」
ということについては、堺屋太一先生の、歴史を経済の面からとらえるといった視点がある。
特に、豊臣秀吉が国内を統一した後、朝鮮半島を足がかりに、中国にまで進出しようとした政策について、その理由が、成長経済といった点から考えられている。
敵と戦うのには、お金がいる。てっとり早く、お金を借りる。そのお金を元に軍備をととのえて、戦争をする。勝って、敵の領地を奪うか、ご褒美をもらうかして、借金を返し、さらに、次の大きな戦いのためにお金を借りる。この繰り返しでやってきていた。
日本の国が統一されてしまうと、ご褒美に与える土地もなくなり、借金を返すあてもなくなり、みんなが困ったことになってしまう。
そこで、新たな経済活動(戦争)の場を求めて、朝鮮半島に進出していったという一面があるとのことだ。
当然、これは、歴史の背景の一面であって、ほかにも、いろいろな事情があったわけだと思う。中国まで攻めて行くというのは、織田信長がすでに言っていたらしい。既定路線だったようでもある。
結局、この大陸進出という企ては、失敗に終わる。
それに、終止符を打ったという点で、徳川家康という人は優れていたように思う。
徳川幕府が打ち出した、「鎖国(さこく)」という政策はもう習ったかな?
とにかく、がむしゃらに拡大を続けていたそれまでの方向に、ブレーキをかけるのはとても大変だったと思う。
ちなみに、朝鮮半島の料理は、それまで辛くなかった。
キムチ、冷麺など、韓国料理といえば辛いものを思い浮かべるとおもうけれど、伝えられている韓国の宮廷料理は唐辛子を使っていなくて、辛くないそうだ。
一説には、唐辛子は、日本をから、朝鮮半島に伝わったと言われている。
豊臣秀吉が、朝鮮半島の人々を「ばか」にしてしまう政策として、辛い辛い唐辛子を持ち込んだが、それが、土壌と気候風土にあっていたため、日本にはない、旨味をもつ豊かな味の唐辛子が生産されるようになって、さまざまな料理が生み出されていった。そんな、笑い話のような説を、韓国の人は語っていると聞いたことがある。
まったく話はそれたが、組織とは、それを構成する人々とは異なった意思を持って動き出すこともあり、そこに属する人を、必ずしも幸せにするとは限らないということを、すこし、心にとめておいてくれると、長々しく、堅苦しい話を続けてきた甲斐もあるかもしれない。
戦争などは、その、良い例のようにも思う。
まじめに語りすぎちゃった。
今日は、ここまで。