漱石枕流(そうせきちんりゅう)〜2
とーとです。
仕事で、帰りが遅くなったのですが、なぜか、ブログの下書きを始めてしまいました。
明日にさし障りそうだなあ。
改名の話をしておこうか。
とーとの名前は、どうやっても画数がよくなかった。
同じ読み方で、名前の文字が変えられないか調べてみた。
名前を変えることが簡単にできるかというと、今の日本は、そう簡単にはいかない。
読み方とは別の話。
日本には「戸籍(こせき)」という制度がある。
名前をむやみに変えてもよいことにすると、多くの混乱が生まれてしまう。
それなりの、理由があって、家庭裁判所の許可がないと、名前を変えることはできない。
変な名前で、恥ずかしい思いをしなくてはならないと、客観的に認められる場合。
犯罪者などと同じ名前で、肩身がせまい場合。
周りに同じ名前の人がいる多くて、混乱するような場合。結婚したら、義理の親と同姓同名になってしまったなんていうのも理由としてありのようだ。
仏門に入り、正式に、お坊さんとしての名前をもらったりした場合にも認められるらしい。
「画数が悪い」などというのは、名前を変える理由にならない。却下!
とーとは、インターネットで、自分と同姓同名の人を検索してみた。
有名ではなかったけど、しっかりと、学術に励まれている方がヒットした。
自分の努力が足らないのを棚に上げて、名前のせいにしてはいけないなあと反省している。
漱石枕流(そうせきちんりゅう)
「名前の画数が悪いから、うまくいかなかったんだ」
なんていうのも、負け惜しみだね。
アメリカンジョークかなんかで、面白い負け惜しみがあったら教えてほしい。
有名な負け惜しみは、寓話にある「酸っぱいぶどう」
狐がぶどうを取ろうとしたが、高いところにあって、届かなかった。
ぶどうが食べられなかった狐は言った。
「どうせ、あのぶどうは酸っぱいに決まってる!」
まあ、ほめられたことではないけど、うまくいかなかった自分をなぐさめるのには、仕方ないかもしれないね。
誰も、完璧に強くはない。
「失敗というものはない。方法が違っていただけだ。うまくいくまでやってみたんだ」
成功した人はそう言っているそうだ。
その言葉の方をとるのが、いい選択だとは思う。
でも、時には、心が折れそうになることもあるよね。
とーとはしょっちゅう、ポキポキ心が折れている。
強くなりたいと願うけれど、どうしても、ポジティブになれない時がある。
そんな時には、自分を責めず、他の何かのせいにして、少し休憩したい。
他人を責めるのはよくないね。せめて、ぶどうのせいにするくらいにとどめておこう。
成功法則の本を読むと、
「常に、良いイメージを保ち、楽しい事を考え、愚痴や弱音は言わないこと」
「成功している豊かな自分をリアルに想像して、心から楽しくなること」
そんな記述が多い。
一見、簡単そうに思えるが、自分の心をコントロールするのはかなりきつい。
それができていれば、すでに成功しているとも言えるのではないか?
成功するための本を読んでいるうちに、神経の病気でうつ気味の人は、成功できないのではないかと思えたりして、逆に気が重くなったりする。
ありのまま、なるようになる。
そんな、ニュートラルな姿勢で心を保てるようになるのが当面の目的である。
しかし、遠いような気もする。
悩みながら生きて行くのが人間なのだろうか。
「苦しみが、人を成長させる」というのは、真実かどうかはしらないが、とーとはきらいな言葉だ。
どうせ悩むなら、楽しく悩もう。無理に苦しむ必要なんかないよ。
先が見えないから人生面白い。見えちゃってたらつまらない。
リタイヤしたことがある。その時に思ったのは、
「これからは、明るく、楽しく、やりたいなあ」だった。
書いているうちに、立ち直りの気配が見えてきた。
もう少し、自分に甘くなろう。
自分を可愛がってあげよう。
そういうことが必要な種類の人も多いと思う。
張り詰めてばかりいないで。
自分の頭をなでて「いいこいいこ」してあげよう。
自分を自分で抱きしめてあげよう。
頑張りすぎる君も、少しは自分を甘やかせてあげなさい!
親が子に言うせりふかなあ。
もう寝よう。
今日はここまで。