白馬非馬(はくばひば)〜2
とーとです。
へとへとですね。
町内の親戚にご不幸があり、お葬式の関係でお手伝いをしました。
山の中なので、セレモニーセンターにすべてお任せというわけにはいかないのです。
村の人たちが、手をかけて旅立ちの支度をします。
大変ですが、お葬式というのは、亡くなった方と、生きている者とが、お別れのけじめをつける一面があり、なるべく多くの人が関わり、お送りするのは、それなりに意義があるようにも思います。
時代とともに高齢化が進み、簡素化が進んでいるのも事実ですが‥。
さて、「白馬非馬(はくばひば)」について。
といっても、考えても、やっぱりわからない。
でも、これをお題に、どういう意味なんだろうと、君と話してみたいな。
とにかく、「実利」という意味では、なんの役にも立たないことだ。
しかし、実利がないといえば、「将棋」や「囲碁」、「プロスポーツ」も、それでお金を稼いでる人はいるけど、農業でも工業でもなく、サービス業とも少し違うような感じがして、それによって、何かが生産されるというわけではないし、なくなって困る人がそうたくさんいるようにも思えない。(愛好家の方、フアンの方ごめんなさい)
これは、多分「文化」というものなのだろうと、浅はかな頭では思ったりする。
直接の生産には結びつかなくても、暮らしを豊かに、人生を有意義なものにつなげてゆくものではないのかなあ。
そして、役に立たないと思われていたものから、行き詰まっていた事柄を解決することは、結構あったんじゃないのだろうか?
有名なのは「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」
これも故事成語なんだけど、少し話そうか。
孟嘗君(もうしょうくん)という有名な人がいる。
昔は教科書にものっていたんだけど、今はどうなんだろう?
この人は、人が好きだった。としか言いようがない。
食客(しょっきゃく:しょっかく)と言われる人を多数抱えていた。
食客(しょっきゃく)というのは、
ご飯と、住まいと、食事が保証される。
家来ではない。命令に従う義務はない。
いやになったら、いつ出ていってもよい。
そんな、条件で 養われていた人たちだ。
それでも、自分の特技を売り込んでいたんだね。
そんな中に、狗盗(くとう)と呼ばれる盗みにたけた人。
鶏の鳴きまねの上手い人もいた。
そんなことが役に立つのかと多くの人は思うのだが、孟嘗君(もうしょうくん)という人は食客として養っていた。
ある時、孟嘗君(もうしょうくん)の名声を聞いて、国の政治を任せようと思う王様が現れた。
孟嘗君(もうしょうくん)は、食客(しょっきゃく)を連れてでかけた。
王様は、孟嘗君(もうしょうくん)を呼んだのはよいが、周囲の反対にあって、政治を任せるのを断念しなくてはならなくなった。
すんなり、お引き取りいただくと、別の国で政治を行って、自分の国を脅かす存在になる危険がある人物なので、とりあえず幽閉しようと考えた。
それを察知した孟嘗君(もうしょうくん)は、脱出しなくてはならない。
まず、関所を通る「通行手形」を手に入れなくてはならない。
王様の一番のお気に入りのお妃様に、「つて」を求めた。
交換条件は「狐白裘(こはくきゅう)」とよばれる、たくさんの白い狐の脇の下の毛だけを集めて作った服で、ものすごい宝物だった。
これは、すでに、孟嘗君(もうしょうくん)が王様に献上してしまっていたため、手元になかったが、「狗盗(くとう)」とういう、泥棒の特技をもつ食客が、王宮の蔵から盗み出して、王妃に献上し、通行手形を手に入れることができた。
脱出する途中で、追っ手に追いつかれそうになる。
関所は夜明けにならないと開かない。
まだ、薄暗かったのだけど、鶏の鳴きまねの名人が「コケコッコー」と鳴きまねをしたら、関所の鶏が一斉にときをつくり、一行は間一髪で関所を通り、脱出できた。
宮城谷昌光先生の「孟嘗君」という小説にくわしく書かれているし、この小説は、歴史小説の中でも爽快感があるので、とーとは好きだ。また、読んでみてほしいな。
だいぶ話はそれたが、無駄なものをそぎ落としてばかりいても、豊かな生活は生まれないように思う。
いろんなものを受け入れる幅広さが、心の豊かさなのかもしれないね。
無駄なことを、おおいに君と語り合いたいなあ。
成長した君と、お酒なんか飲みながら話せたらいいなあ。
そんな日が来ることを、心から願って。
今日はここまで。