とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

白馬非馬(はくばひば)〜2

とーとです。

 

へとへとですね。

町内の親戚にご不幸があり、お葬式の関係でお手伝いをしました。

山の中なので、セレモニーセンターにすべてお任せというわけにはいかないのです。

村の人たちが、手をかけて旅立ちの支度をします。

大変ですが、お葬式というのは、亡くなった方と、生きている者とが、お別れのけじめをつける一面があり、なるべく多くの人が関わり、お送りするのは、それなりに意義があるようにも思います。

時代とともに高齢化が進み、簡素化が進んでいるのも事実ですが‥。

 

さて、「白馬非馬(はくばひば)」について。

 

といっても、考えても、やっぱりわからない。

でも、これをお題に、どういう意味なんだろうと、君と話してみたいな。

 

とにかく、「実利」という意味では、なんの役にも立たないことだ。

しかし、実利がないといえば、「将棋」や「囲碁」、「プロスポーツ」も、それでお金を稼いでる人はいるけど、農業でも工業でもなく、サービス業とも少し違うような感じがして、それによって、何かが生産されるというわけではないし、なくなって困る人がそうたくさんいるようにも思えない。(愛好家の方、フアンの方ごめんなさい)

 

これは、多分「文化」というものなのだろうと、浅はかな頭では思ったりする。

 

直接の生産には結びつかなくても、暮らしを豊かに、人生を有意義なものにつなげてゆくものではないのかなあ。

 

そして、役に立たないと思われていたものから、行き詰まっていた事柄を解決することは、結構あったんじゃないのだろうか?

 

有名なのは「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」

これも故事成語なんだけど、少し話そうか。

 

孟嘗君(もうしょうくん)という有名な人がいる。

昔は教科書にものっていたんだけど、今はどうなんだろう?

この人は、人が好きだった。としか言いようがない。

食客(しょっきゃく:しょっかく)と言われる人を多数抱えていた。

食客(しょっきゃく)というのは、

ご飯と、住まいと、食事が保証される。

家来ではない。命令に従う義務はない。

いやになったら、いつ出ていってもよい。

そんな、条件で 養われていた人たちだ。

それでも、自分の特技を売り込んでいたんだね。

 

そんな中に、狗盗(くとう)と呼ばれる盗みにたけた人。

鶏の鳴きまねの上手い人もいた。

そんなことが役に立つのかと多くの人は思うのだが、孟嘗君(もうしょうくん)という人は食客として養っていた。

 

ある時、孟嘗君(もうしょうくん)の名声を聞いて、国の政治を任せようと思う王様が現れた。

孟嘗君(もうしょうくん)は、食客(しょっきゃく)を連れてでかけた。

 

王様は、孟嘗君(もうしょうくん)を呼んだのはよいが、周囲の反対にあって、政治を任せるのを断念しなくてはならなくなった。

すんなり、お引き取りいただくと、別の国で政治を行って、自分の国を脅かす存在になる危険がある人物なので、とりあえず幽閉しようと考えた。

 

それを察知した孟嘗君(もうしょうくん)は、脱出しなくてはならない。

まず、関所を通る「通行手形」を手に入れなくてはならない。

王様の一番のお気に入りのお妃様に、「つて」を求めた。

交換条件は「狐白裘(こはくきゅう)」とよばれる、たくさんの白い狐の脇の下の毛だけを集めて作った服で、ものすごい宝物だった。

これは、すでに、孟嘗君(もうしょうくん)が王様に献上してしまっていたため、手元になかったが、「狗盗(くとう)」とういう、泥棒の特技をもつ食客が、王宮の蔵から盗み出して、王妃に献上し、通行手形を手に入れることができた。

 

脱出する途中で、追っ手に追いつかれそうになる。

関所は夜明けにならないと開かない。

まだ、薄暗かったのだけど、鶏の鳴きまねの名人が「コケコッコー」と鳴きまねをしたら、関所の鶏が一斉にときをつくり、一行は間一髪で関所を通り、脱出できた。

 

宮城谷昌光先生の「孟嘗君」という小説にくわしく書かれているし、この小説は、歴史小説の中でも爽快感があるので、とーとは好きだ。また、読んでみてほしいな。

 

だいぶ話はそれたが、無駄なものをそぎ落としてばかりいても、豊かな生活は生まれないように思う。

いろんなものを受け入れる幅広さが、心の豊かさなのかもしれないね。

 

無駄なことを、おおいに君と語り合いたいなあ。

成長した君と、お酒なんか飲みながら話せたらいいなあ。

そんな日が来ることを、心から願って。

今日はここまで。