此奇貨可居(きかおくべし)〜2
とーとです。
この間、「知音」で紹介した画家の友人と久しぶりに出会って、長時間話をしました。
近況報告から、絵の話、仏様や神様の話(仏画もたくさん描いているのです)、友人の話など尽きることはありませんでした。
いろいろな人と話をしている人と話すと、世界が広がったような感じがします。
基本、人付き合いが面倒くさいと感じているとーとにとって、気を使わずにいろんな話をしてくれる人はとても大切な存在です。
面倒くさがらずに、いろんな人と話す機会を持つのに越したことはないですが、相手によっては、どうも、こちらのカンに触るような感じの話をされる方も多くて、多分それはその人が寂しいからだろうと思ったりもするのですが、やはり疲れが尾を引いてしまいます。精神の特性ですが、病気の原因でもあります。
さて、前回、後回しになってしまった「呂不韋(りょふい)」の話をする。
「呂不韋(りょふい)」が「奇貨(きか)」とした秦(しん)の公子は、王様の孫とはいえ、兄弟がたくさんいた。
この時代は、王様をはじめ、身分が高い人には奥さんが何人もいるのが普通だった。
王様のあとを継げるのは、母親の身分や、母親が王様にどれだけ愛されているかよって決まることになり、この公子は、王様の跡を継げる可能性はほとんどなかった。
また、人質にされていた国と「秦(しん)」との関係も悪化していたので、監視がつけられ、本国からの支援もあまり受けられず、日々の生活にも困っているようなありさまだった。
商人であった「呂不韋(りょふい)」は、この公子を「投機(とうき)」の対象と考えた。
まず、経済的な支援を申し出て、社交界デビューさせて、評判を高めるように努めさせた。
経済的に豊かになれば、おのずと気前もよくなるから、評判も上がってくる。
そのうえで、「呂不韋(りょふい)」は、その頃、「秦(しん)」の王様の跡継ぎ(皇太子みたいのものかな)に一番愛されていたお妃様に近づいた。
この女性はとても賢く美しい人だったが、子供がいなかった。
そこで、公子が、この王妃を母親のように慕っていると伝え、さらにお妃様のお姉さんにも贈り物をするなどして、公子を養子にするようにはたらきかけた。
お妃様は、このまま自分が歳をとり、夫に愛されなくなると、自分の地位が危うくなると考えて、この申し出を承諾して、夫とともに公子を養子にした。
公子は喜んで、「呂不韋(りょふい)」を自分の後見にした。
この後、「秦(しん)」王様が亡くなり、あとを継いで王様になった皇太子も間もなく亡くなったため、「呂不韋(りょふい)」が後押しした公子が王様になった。
呂不韋は、宰相(さいしょう:大臣のなかで、一番偉く、実際に国の政治を取り仕切る人)になった。
これが、「奇貨居くべし(きかおくべし)」の話である。
「呂不韋(りょふい)」のその後について記しておきたい。
まだ、公子が王様になる前に、「呂不韋(りょふい)」には恋人がいた。
公子はその美しさに惹かれて、自分の妻にしたいと申し入れた。
「呂不韋(りょふい)」は断りきれず、それを認めた。
公子とこの女性の間に生まれたのが「嬴政(えいせい):始皇帝」である。
このため、始皇帝は、実は「呂不韋(りょふい)」の子供であるという噂が当時からあったらしい。
本当のことは誰もわからないそうだが。
「呂不韋(りょふい)」の国の政治を取り仕切れるようになってからの最も大きな業績は「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」という書物を作ったことと言われている。
人材を集め、百科事典のような書物を作り、街の中心部にこの書物を置いて、「一字でもでも減らすか増やすかできたら大金(千金)を与える」というおふれを出した。ここから、「一字千金(いちじせんきん)という言葉が生まれた。
王となった公子が亡くなった後、その子である「嬴政(えいせい:始皇帝)」があとを継いで王となった。
かって「呂不韋(りょふい)」の恋人だった「嬴政(えいせい)」の母は、新しい恋人を求めた。
本当は、夫の亡くなった後のお妃は、そんなことは許されないのだが、「呂不韋(りょふい)」はやむを得ず、内緒で相手になる男を送り込んだ。
お妃は、この男との間に子供まで作ってしまった。
ばれてしまって、窮地に追い込まれた男は、反乱を起こして処刑されてしまう。
責任の追求は「呂不韋(りょふい)」にも及んだ。
大臣を辞めさせられ、謹慎処分になった。
しかし、謹慎処分後も、活動をやめず、声望も高かったので、反乱を起こすのではないかと疑われ、辺地に追いやられることになる。
このことに絶望し、「呂不韋(りょふい)」は、毒をあおり、自らの命を絶った。
これが、「奇貨居くべし(きかおくべし)」の後の話になる。
説明がながくなってしまった。
退屈だっただろうなあ。
しかし、ことのあらましを記すのも、これはこれで、なかなか面倒なものなのですよ。
余談(脱線)は次回にする。
今日は、ここまで。