とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

此奇貨可居(きかおくべし)〜2

とーとです。

 

この間、「知音」で紹介した画家の友人と久しぶりに出会って、長時間話をしました。

近況報告から、絵の話、仏様や神様の話(仏画もたくさん描いているのです)、友人の話など尽きることはありませんでした。

いろいろな人と話をしている人と話すと、世界が広がったような感じがします。

 

基本、人付き合いが面倒くさいと感じているとーとにとって、気を使わずにいろんな話をしてくれる人はとても大切な存在です。

 

 面倒くさがらずに、いろんな人と話す機会を持つのに越したことはないですが、相手によっては、どうも、こちらのカンに触るような感じの話をされる方も多くて、多分それはその人が寂しいからだろうと思ったりもするのですが、やはり疲れが尾を引いてしまいます。精神の特性ですが、病気の原因でもあります。

 

さて、前回、後回しになってしまった「呂不韋(りょふい)」の話をする。

 

呂不韋(りょふい)」が「奇貨(きか)」とした秦(しん)の公子は、王様の孫とはいえ、兄弟がたくさんいた。

この時代は、王様をはじめ、身分が高い人には奥さんが何人もいるのが普通だった。

王様のあとを継げるのは、母親の身分や、母親が王様にどれだけ愛されているかよって決まることになり、この公子は、王様の跡を継げる可能性はほとんどなかった。

また、人質にされていた国と「秦(しん)」との関係も悪化していたので、監視がつけられ、本国からの支援もあまり受けられず、日々の生活にも困っているようなありさまだった。

 

商人であった「呂不韋(りょふい)」は、この公子を「投機(とうき)」の対象と考えた。

 

まず、経済的な支援を申し出て、社交界デビューさせて、評判を高めるように努めさせた。

経済的に豊かになれば、おのずと気前もよくなるから、評判も上がってくる。

 

そのうえで、「呂不韋(りょふい)」は、その頃、「秦(しん)」の王様の跡継ぎ(皇太子みたいのものかな)に一番愛されていたお妃様に近づいた。

この女性はとても賢く美しい人だったが、子供がいなかった。

そこで、公子が、この王妃を母親のように慕っていると伝え、さらにお妃様のお姉さんにも贈り物をするなどして、公子を養子にするようにはたらきかけた。

 

お妃様は、このまま自分が歳をとり、夫に愛されなくなると、自分の地位が危うくなると考えて、この申し出を承諾して、夫とともに公子を養子にした。

公子は喜んで、「呂不韋(りょふい)」を自分の後見にした。

 

この後、「秦(しん)」王様が亡くなり、あとを継いで王様になった皇太子も間もなく亡くなったため、「呂不韋(りょふい)」が後押しした公子が王様になった。

 

呂不韋は、宰相(さいしょう:大臣のなかで、一番偉く、実際に国の政治を取り仕切る人)になった。

 

これが、「奇貨居くべし(きかおくべし)」の話である。

 

呂不韋(りょふい)」のその後について記しておきたい。

 

まだ、公子が王様になる前に、「呂不韋(りょふい)」には恋人がいた。

公子はその美しさに惹かれて、自分の妻にしたいと申し入れた。

呂不韋(りょふい)」は断りきれず、それを認めた。

公子とこの女性の間に生まれたのが「嬴政(えいせい):始皇帝」である。

このため、始皇帝は、実は「呂不韋(りょふい)」の子供であるという噂が当時からあったらしい。

本当のことは誰もわからないそうだが。

 

呂不韋(りょふい)」の国の政治を取り仕切れるようになってからの最も大きな業績は「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」という書物を作ったことと言われている。

人材を集め、百科事典のような書物を作り、街の中心部にこの書物を置いて、「一字でもでも減らすか増やすかできたら大金(千金)を与える」というおふれを出した。ここから、「一字千金(いちじせんきん)という言葉が生まれた。

 

王となった公子が亡くなった後、その子である「嬴政(えいせい:始皇帝)」があとを継いで王となった。

 

かって「呂不韋(りょふい)」の恋人だった「嬴政(えいせい)」の母は、新しい恋人を求めた。

本当は、夫の亡くなった後のお妃は、そんなことは許されないのだが、「呂不韋(りょふい)」はやむを得ず、内緒で相手になる男を送り込んだ。

お妃は、この男との間に子供まで作ってしまった。

ばれてしまって、窮地に追い込まれた男は、反乱を起こして処刑されてしまう。

 

責任の追求は「呂不韋(りょふい)」にも及んだ。

大臣を辞めさせられ、謹慎処分になった。

 

しかし、謹慎処分後も、活動をやめず、声望も高かったので、反乱を起こすのではないかと疑われ、辺地に追いやられることになる。

このことに絶望し、「呂不韋(りょふい)」は、毒をあおり、自らの命を絶った。

 

これが、「奇貨居くべし(きかおくべし)」の後の話になる。

 

説明がながくなってしまった。

 

退屈だっただろうなあ。

 

しかし、ことのあらましを記すのも、これはこれで、なかなか面倒なものなのですよ。

 

余談(脱線)は次回にする。

 

今日は、ここまで。