嚢中之錐(のうちゅうのきり)〜1
とーとです。
前回、がんばっているんだよというメッセージを送りましたが、コンビニで立ち読みした本には、「がんばってはいけない」「がんばるのは、幸せへの遠回り」みたいなことが書かれていました。
たしかに、つい頑張り過ぎてしまう君には、「がんばらなくていい。無理しなくていい」と言い続けて来ました。
矛盾が生じていますね。正直、何が正しいのかわかりません。
しあわせは、なんとなく手に入るものなのだろうか?
まあ、倒れんていどに、きばりますわ。ぼちぼち。
さて、嚢中の錐(のうちゅうのきり)とは、袋に入った「キリ」のこと。
「キリ」ってわからない人いるのかな?
穴を開けるための工具で、棒の先に、鋭くとがった金属がついている。
強国へ、難しい交渉をしに行く使者が、同行する者を20人選ぶことにした。
19人まで選んで、あと1人となった。
1人の男が自分で手を上げた。
使者になった人は、
「袋の中に入っている錐(きり)は、外側からでもわかります。あなたは、私のところへ来て3年がたちますが、これといった目立つこともなく今日まで来ています。(あなたを連れて行く理由が見つかりません。)」
と言った。
すると、手を上げた男は、
「それは、私を袋にいれていないからですよ。私を袋に入れてみれば、錐(きり)の形が見えるばかりでなく、錐の先端が袋を突き破ってとびだすでしょう」
そう答えたそうだ。
そこで、20人目にその男を加えて交渉に行った。
結局、最後には、その男の力で、交渉は成功し、使者は、自分の人を見る目のなさを恥ずかしいと思ったという。
すぐれた人は、大勢の中にあっても、その才能を発揮して目立つ。
そういう意味の故事成語だ。
しかし、この言葉とはちがって、目立たなかった男が、事にあたっては能力を発揮したという話はあまり知られていないようなきがするけどどうだろう?
人というのは、そう簡単にその才能を判断できるものではないんだなあ。
今日は、ここまで。