とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

矯角殺牛(きょうかくさつぎゅう)~1

とーとです。

 

前回の投稿から1か月を超える時間が経過しました。

ブログでは、「おひさしぶりです」などは禁句だそうですが、ほんとうにお久しぶりなので仕方ないですね。

 

まったく、忙しいです。

今年1月に倒れた妻が、このたびようやく退院しました。

体に障害が残ってしまい、受け入れ準備に追われました。

そして、家に戻ってきてからも、試行錯誤の日々が続いています。

私の仕事は、あいかわらず、遠距離通勤が続いています。

われながら、よくやっているような気もしますが、落ち度ばかりで、情けない気持ちになることも多いです。

息子には、本当に助けられています。ただ、私たち両親が、現在も、将来も、息子の重荷にならないようにしなくてはならない ということが、最優先だと心に刻んで日々を送っています。

そうは言うものの、見るに見かねてか、息子がサポートしてくれることも多いのが現状で、やはり、情けない親であることは確かですね。

 

上司からは、

「お前は、今までだってずいぶん大変な思いをしてきた。そして、今日までなんとか生きているじゃないか。それには自信をもっていいんだと思うよ」

などと、なぐさめになるようなならないような言葉をかけられました。

今までやってこられたのは、自分の力でなく、みんなに助けられてきたのだと思っています。それを上司に話すと、

「助けてもらえる。それも実力のうちだよ」

そう言われました。

 まあ、深く考えず、素直に受け取っておこうと思います。

 

妻は社交家ですので、多くの友人の方々がいます。

皆様にご心配をいただいていましたので、主にLINEで退院の報告をさせていただきました。

新型コロナウィルスの流行で、病院への面会もままならない状態でしたから皆様には本当にご心配をおかけしておりました。

多くの方から、お祝いと励ましのお返事をいただいています。

ママ友の方の中には、海外へ出られた方もいて、そちらにもメールでお知らせしたところ、丁寧なお返事をいただきました。

ママ友といえば

私自身のことを振り返ってみれば、母親からは、あまり干渉されずに育ったような気がします。いつも、冗談をまじえて、心を軽くさせるようにつとめてくれていました。「進路」「人生」そんなことをあまり語ってはこなかったと思います。静かに子を案じてくれていた人でした。

時代が変わり、母親は子供のことで悩み続ける存在になってしまったようですね。

母親の多くが、「どんなにすぐれた素養を持っている子でも、欠点の方ばかり気になってしかたなくて、不安になってしまう」そんな存在になってしまったのかもしれません。一人で抱え込むのは、あまりにもしんどいことなのだろうと思います。

妻も、息子のことで迷いや不安を感じることは多かったのでしょう。情報を交換し、アドバイスを与え合うつながりを大切にしていました。私が単身赴任であったことも大きかったと思います。

それはそれでいいのだと思います。

ただ、結果として、子供はやがて、自分で考えて、自分で決めて、自分の足で歩いてゆくようになるのです。ときに転んだりもしながら。

まあ、40代、50代でニートなど、うまくいかなかった例もあり、原因はそれぞれでしょうが、親の過干渉も指摘されることがありますよね。

花も、水のやり方と時期を誤ると枯れてしまいますから。

 

さて、こんなふうに話を引っぱって、お題に入る。

矯角殺牛「つのをためてうしをころす」と読む。

 

昔、王様が川べりを訪れたところ、川の中から大きな牛が現れた。

危害を加えられないかと、おつきの人は皆恐れたため、ひときわ力と勇気にたけた人がいて、その牛の角をつかみ殺してしまった。

実は、その牛は、王様達に危害を加えるどころか、めでたい兆しとして現れた精霊だったそうだ。勘違いをして、良いことを帳消しにしてしまう例だったのだが、時代が移るうちに、

「危険な牛の角の形を変えて、安全なものにしようとして、帰って牛を殺してしまう」

つまり、「欠点をなおそうとして、かえってその者自体を使い物にならなくしてしまう」という意味になったそうだ。

話の前半とここで重なると思うんだけど、自分の子の欠点ばかりに目が向いてしまうお母さま方(お父様方も:「父親」を入れておかないと男女共同参画の流れに反すると叱責を受ける)は少し立ち止まって考えてみてはいかがなもんかと、とーとは思う。

とーとも(お母さんも)本当にだめな親だったし、今もそうだ。

君に対してろくなことができず、今も、心を痛ませ続けている。

だけど、君は、すでに立派にやっている。

能力も、ハートも、君はもうとーとを超えているように思う。(すべてではないと思うけど。まだ、そう思っていたい……。)

 

君自身が乗り越えてきた道。

でも、やっぱり、そのときそのときで、手を差し伸べてくれた人がいたはずだ。

そして、君は、今、手を差し伸べる人をめざしている。

手を差し伸べるとき、この、「矯角殺牛」という故事成語を心に浮かべてくれるとありがたい。

 

助けられている。生きていることは、助けられていることだ。

感謝を込めて。

 

今日はここまで。