樗櫟散木(ちょれきさんぼく)~1
とーとです。
令和3年8月15日夜 このブログを書いています。
旧盆です。
あちらの世界から帰ってきて、作文をしているわけではありません。まだ生きています。
このブログも、正月にアップして、それ以来です。
以前「累卵之危」などで話しましたが、毎日が綱渡りです。
生きているのは、毎日が奇跡なのだつくづく実感しますね。
くどいですが、長距離通勤、仕事、家事、介護などに追われています。とにかく睡眠時間の確保が優先ですので、運動不足になり、すこしお腹に脂肪がつきました。
しかしハードです。仕事もそうですが、家庭のこと家族のことについて、調べて、考えて、決めてゆかなくてはならないことが増えました。
体の不自由な家族を抱え、どうやって生き延びてゆくか。
頭が混乱して、間違いや忘れてしまうことも増えてきました。以前なら、もう少しまともにできたような気がすることが、できていないというのは、まったく我が事ながらいらいらします。年齢的なこともありますが悔しいですね。これを達観できるのが「歳をとる」ということかもしれません。
そんなわけで、「とーと通信」も振り返るゆとりなど全くありませんでした。
このブログも見返すことなく放置していましたが、久々に確認したら、アクセスしてくれる人がほんとに数人ですが、ほぼ毎日いらっしゃいます。
まちがって迷い込まれたのかもしれませんが、とにかく、ありがとうございます。
ただ、本当にくたびれています。数少ない読者の方に、私の生存を伝えるべく相変わらずの拙い文章を綴っています。
このブログは、単身赴任だった私が、離れて暮らしている息子に、出来損ないの父親がどんなアホなことを日ごろ考えているのか伝えるために始めたものでした。
今は、毎晩、息子とも夕食を囲むようになりました。その意味では、このブログは役割を終えています。それでも、相変わらずアホで軽蔑にも値するような親父が、何を考えていたかを少しずつ残しておけたらよいなあと思ってはいます。
ただ、先にも申し上げましたが、本当に毎日がいっぱいいっぱいです。次のリリースができるのか定かではありません。
今日は、終戦記念日でもあります。戦争のこと、歴史認識のこと、今私たちが生きている社会の中での争いのことなどについても、私個人の考えを語っておきたいのですが、テーマが大きく、語りたいことが多すぎて、今は体力がもちません。
現在と未来への危機はいろいろありますが、国際間の争いについてしっかりとした情報と見識を持つことも、とても大切なことです。他人任せにしないで、私たち一人一人がしっかりとした考えをもって行動してゆかないと、とんでもないことになってゆきそうな気がしています。残念ですが、ここのところは、あるかないかわからない、次回以降に譲ります。
新型コロナウィルスの「デルタ株」が猛威をふるっています。
賛否両論の中、オリンピックが開かれました。
私個人としては、「やるとかやめるとか言ってるけど、やれないんじゃないの?」と思っていました。結論はどうあれ、企業や政治の思惑で決めるべきではないとは今でも思っています。
結果として、無観客での開催。
選手の方々は、テレビ越しの私たちに、多くの感動を与えてくれました。皆さん、オリンピックのために命懸けで取り組まれているのだろうなあと感じました。
「かわいそうだけど、スポーツなんだから、みんなの命の方が大切でしょう」という、開催への反対意見を否定はできませんが、選手の方、サポートされている方含めて、この舞台を目指されてきた意識にというものについて、私としては再認識せざるを得ませんでした。
オリンピックの開催が、直接コロナ感染の拡大をもたらしたという査証はいまのところないようですね。
ただね、「お祭り」でもあるんですよね。
空気というか、雰囲気というか、そういうものが、この開催で「感染に対する危機感」を薄めてしまっていなかったかという、検証できない点が私にはひっかかります。
事実、札幌のマラソンや競歩のコースでは、制止を無視する「観客」が「密」の状態
をつくりあげてしまったようですね。
人というのは、理屈だけで動くものではないんだとつくづく思います。
危険があっても、他人に迷惑をかけても、なんのかんの言い訳して、政府なんかの責任にして、自分だけじゃないんだと開き直って、居酒屋でお酒を飲みたい生き物ですね。
感動と勇気を与えてくれる素晴らしい生き物であると同時に、自分勝手で無責任な、愚かな生き物でもあるのですよね。
こういうことは、残りが少なくなった人生ですが、改めて肝に銘ずるとともに、息子にも伝えておきたいところです。
さて、久しぶりだったので前置きが長くなり、夜も更けてきた。
お題の「樗櫟散木(ちょれきさんぼく)」について。
これは、何回もこのブログで紹介している「荘子(そうし)」という人の思想に出てくる物語だ。
大工の名人が弟子を連れて、社の前にそびえている大木の前を通った。
その木は実に大きくて、見物に来る人も多くいるほどのみごとなものだったが、大工さんは、見向きもしないでその木の前を通り過ぎた。
弟子はそれを不審に思い、師匠の大工に理由を尋ねた。
師匠である大工の名人は語る。
「あの木は
船を造れば沈んでしまう
棺桶を作れば腐ってしまう
家具を作れば壊れる
扉をつくれば『やに』だらけ
柱にすればすぐに虫に喰われてしまう
そんなわけで、なんの使いようもない木だ
使いようもないから、切られることもなくあのようにおおきくなったにすぎないのだ」
その夜、大工の夢に大木があらわれて言った。
「ほかの木は、有用であろうとして命を縮めている。
私は、長い長い時間を無用であろうとつとめてきた。
このことが、私にとっては長寿という意味で有用なことなのだ。
有用であろうとして、命を縮めることこそが無用のものなのだ」
そんな話である。
役に立たないという価値基準を否定するお話は、ほかにもいくつも残されている。
まあ、「とーと」としては、大木には大木の、大工には大工の価値基準があって、それはそれでいいのではないかと思うのだが……。
この大木は「櫟」と記されている。いったい何の木なのだろう。そして、この故事成語の「樗櫟」の「樗」もどんな木か気になった。
調べてみたけど
「樗」は「おうち」という木で、「櫟」は「くぬぎ」らしいのだが、どんな木か、やっぱりよくわからない。
なにしろ、漢字は中国から入ってきたけど、木や魚などは文字にサンプルがついてきたわけではないから、日本と違うものを指すことも多いらしい。
この「木」の例はどうか知らないが、魚の「鮎」は日本では「アユ」と読み、多くの釣り人が愛する魚である。しかし中国では「ナマズ」を指すとのこと。伝説では、神功皇后(じんぐうこうごう)が「アユ」を釣って戦の吉凶を占ったことから、以後、日本では「魚」偏に「占(うらなう)」をつけたものがアユを指すようになったという。おおらかというか、輸入したものを自分たちに合わせて作り変えるのが得意な日本人らしいというか……。
「樗櫟散木(ちょれきさんぼく)」というのは、「役に立たないもの」として、自らをへりくだって言うときに使われる。
役に立たないということで、必ずしも長生きできるのか。荘子様には申し訳ないが、とーとにはわからない。
役にたたないことで、年老いた雄鶏は食べられてしまうことになる。
ただ、無理に限界を超えるまで頑張り続けるのは疲れるね。
できないこと(役にたたないこと)について、助けてくれる人がいたら、素直にそれに従ったらいい。これが、一番の長生きの秘訣のような気がする。
とーとも、こんな状態で無理をしている。そして、できないことも多くなった。手を差し伸べてくれる人がいて、今日がある。感謝しかない。
それでも、まだ、「踏み込みにくい」と感じさせるオーラを醸し出しているような気がするところもあるのだよなあ。もう少し甘えてみようかな。君はだらしなく感じるかもしれないが(もう感じてるだろうなあ)
君は、物事を自己完結する思考タイプのように感じている。(違ってたらごめん)
自分で調べ、自分で感じ、自分で考え、自分で決めるのはとても大切なことだ。
でも、無理しすぎないこと。相手によっては、発信する情報はべつに曖昧なものでもいいのだと思うよ。
そして、くだらないおしゃべりの中にも重要なことはたくさんちりばめられているのだから。
あらら、日付がかわってしまった。
「樗櫟散木」のとーとは、少しでも長く生きなくてはならなくなったので、語り足りないが寝ることにする。
久しぶりなのに中途半端でごめんなさい。
いつの日にかまた、お話できたらいなあ。
今日はここまで。