とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

樗櫟散木(ちょれきさんぼく)~2

とーとです。

ただいま2021年12月26日です。

まもなく、新しい年を迎えます。

年頭のご挨拶の下書きを始めようとしたのですが、しばらく手を付けないうちに、編集がすべて英語表記に変わり、まったく操作の仕方がわからなくなり、やむを得ず、作製したその場で公開してしまうことにします。

そんなわけで、来年もよろしくお願いします。(いつまたお会いできるかわかりませんが)

本当は、ブログを書いているゆとりはないのですが、久しぶりに確認したら、まだ、訪問いただいている方が1日に数人いらっしゃいます。

礼儀として、つまらない話でも、アップしておかないといけないと思った次第です。

来年は還暦を迎えます。

厄年でもあるそうです。

妻の発病、在宅での介護の生活のなかで、厄年もなにもないように思いますが、それでも、年があけてしばらくしたら、密を避けてお祓いに行こうと思っています。

 

妻の発病や、親しい人が若くして逝ってしまったことなどから、妙に達観してしまうような心境になっていましたが、やはり、何か心のよりどころになるものがないと立っていられません。強くないのですね。

ユーチューブで、ご祈祷の動画などをのぞかせていただいています。

そこにテロップで

「世界の平和を祈りましょう」

「応援してくれる人々の幸せを祈りましょう」

などの言葉が流れたのを見て、しばらくそんな思いに至っていない自分に気づき、はっとしました。

大切な気持ちを置き去りにしていました。

しかし…。思うこともあります。

「世界平和」

すばらしいことです。尊い祈りです。でも、頭の中を、米中対立をはじめとした、様々な国際問題が横切ってしまいました。

悲しいことに、争いはなくなりませんね。このコロナ禍を通じて、世界が手をとりあって人類の災厄に立ち向かっていかなければならないはずなのに、愚かにも、利権をめぐって、多くの国、民族、人々が争いを続けています。どうにもならにないような虚しさがあります。祈るしか、今のところないようです。とーとは特定の宗教などの熱心な信者というわけではありません。ただ、目には見えない、なにか大きいもの存在があるのだろうとは思っています。このことを、他人に強制するつもりもありません。

ただ祈ろうと思います。だいぶ雑念が入るでしょうけどね。

「他人の幸せを祈る」

これも忘れていました。苦しい日々を送るなかで、自分が救われようと必死です。ほかの人のことを思いやることをおろそかにしていました。

しかし、自分が救われようとする気持ちの方が強いです。余裕がないですね。

でも、多かれ少なかれ、だれもが自分がかわいいですよね。

他人をねたみ、恨むことはありません。むしろ、助けていただいていることに深く感謝はしてるのですが、その人の幸せまで祈ることは思い至りませんでした。やはり、祈ろうと思います。

感謝といえば「自分をほめてあげる」という言葉もテロップに流れました。

これが一番難しいです。

 

さて、そういうことで、「樗櫟散木(ちょれきさんぼく)」

これは、自分を謙遜していう言葉だよね。

自分を認めること、自分をほめること。これが今のとーとには一番難しい。

いい父親ではない。ましてや尊敬される存在でもない。

要領悪く、かっこ悪い姿を見せてきた。

受験生の君の心にも、大きな負担をかけている。

いつも、すまないと思っている。

君に対ししてだけは、もっと大きな存在になりたかったなあ。

とにかく「視野が狭すぎたこと」これが一番の反省点。

誰もがいろいろな制約を抱える中で生きている。でも、君には、君の抱える制約の中でも、様々な事象と出会い、たくさんの人と話をして、大きな視野で物事を見られるようになってほしい。「一生勉強」それがそういうことだと思う。

 

今年のとーとの目標

「少しずつでも、新しいことをうけいれていくこと」

まだ、進化はできると思います。

皆様も、年齢に関係なく、「一歩ずつ自分を高めていくぞ」と、気持ちを奮い立たせて、新しい年をお迎えください。

良い年が来ます。絶対来ます。

皆様が幸せでありますように!

 

今年はここまで。