一陽来復(いちようらいふく)~1
あけましておめでとうございます。
とーとです。
昨年は皆さま激動の年だったと思います。
新型コロナウィルスの流行から、生活様式が大きく変化したのではないかと思います。
今、ウィルスの流行は終息するどころか、ますます猛威をふるい、東京など大都市ばかりでなく、この地方都市でも身近なものに感じられています。
そればかりでなく、感染力の強い「変異種」まで発生して、また世界中に蔓延の気配です。
このような状況の早期終息を願い、新年のお題を「一陽来復(いちようらいふく)」としました。
意味とコメントはのちほど。
まず、近況報告します。
昨年1月に病に倒れた妻は、長期のリハビリを終えて、8月末から在宅での生活を送っています。
障害が残ってしまいました。
そんなわけで、私は、それまでの単身赴任から、長距離を運転しての通勤に切り替えました。会社と同僚たちの厚意で、混雑する時間帯を避けて、通常の勤務時間ではなく、いわゆる「フレックス?」でお仕事をさせてもらってます。
しかし、仕事、通勤、家事、介護と重なるとさすがにきつい。
とにかく睡眠の確保が優先。自分の自由な時間が持てないです。ブログが書けないです。これはもう言い訳といったものではないです。
おまけに、記憶力、判断力の低下が著しい。
以前から、このブログで、能力の衰えを嘆いてきましたが、仕事のことに加えて、家のことも調べて、考えて、決めて、行動してゆかなくてはなりません。
思考が混乱し、あれを忘れ、これをやりかかってそのままになりといった具合です。
多忙なのが負荷になっているのではないかと思うのですが、もしかしたら、ほんとに加齢によるものかもしれません。休んだらすっきりするのかどうか、少し不安です。
よく、1年を乗り切ったと、自分でも思います。
妻が倒れてからの一年は激動の年でした。それにコロナ禍が上乗せされて、よくもまあやってきたもんですね。
さて、お題の「一陽来復(いちようらいふく)」
これは、易経(えききょう)にある、「地雷復(ちらいふく)」という「卦(け)」のことなんだよ。
といっても、なんのことかさっぱりわからないと思う。
易経(えききょう)は、古い中国の占いの書のことだと、ざっくり理解してもらっていいだろう。
昔は、占いといえば「易(えき)」であり、占い師を「易者(えきしゃ)さん」と言っていた時代もあった。
易にはもともと3種類あったらしく「連山(れんざん)」「帰蔵(きぞう)」「周易(しゅうえき)」のうち、前の2つは途絶えてしまい「周易」が現在に伝わっていると聞いた。
とーとは、若いころ、この「易経」について少しハマったことがあって、何冊か関係する本を読んだり、原典を読んだりした。
詳しい説明は、退屈だろうから今はしないけど、「とっつきにくいけど、内容が深いものではあったなあ」と今思う。
何人もの聖人といわれる偉い人の手を経て書き加えられて今日の形が出来上がったと伝えれられているが、孔子様の加筆もあって、儒教の必読書である「四書五経(ししょごきょう)」にも入っている。
「怪力乱心を語らず」とおっしゃって、神仙の世界などのことは、肯定も否定もせず、人とはどうあるべきか、理想とする社会とは何かということを語ってきた孔子という人の「教科書」のなかに「占い」があるのはおもしろいと思っていたが、原典を読んでいったら、なんとなくわかったような気がした。
易経は確かに「占い」の書であることは間違いない。
実際、古来から現在に至るまで、様々な人がそれぞれの解釈をしながら、将来の予見、現在の悩みへの対処などに役立ててきた。
現在も、そういう純粋な「占い」を職業としたり趣味としたりして、研鑽を積みし人を救っている方もいらっしゃる。
とーとは、「占い」に関しては、やみくもすべてを信じてしまうつもりはないけど、そういうものはあるのだろうなあという感じを持っている。
あくまでも、とーとの感覚であって、君にそれを押し付けるつもりはない。
しかし、未来予見といえば、占いで今回のコロナ禍をしっかり予見して警鐘を鳴らすことができた人っていたのかな?
終息をしっかり断言できる人っているのかな?
きっといるはずだと思うけど、残念ながら、とーとの耳には聞こえてこない。
今私たちが認識できる世界の上に、もっと漠然とした「おおきなもの」が存在するのだろうと、とーとは思っている。
もともと、自分の目に見えるもの、自分の手で触れるものががすべてという世界観はどうにもなじめない。
ユングの「集団的無意識」という論理のなかでは、意識できない世界が広がっていて、そこにアクセスする方法は存在するだろうし、いまだにワクチン開発にこんなに時間がかかっている程度の科学の世界で、世の中のすべてが解明できるなんて、かけらも思っていない。
ただ、お母さんが倒れてから、少し、とーとの世界観は変わり始めてもいるのだけれど……。
話を戻すと、とーとは、易経とは、単純に占いの書ではなく、「思想書」だと感じた。
だって、おみくじの「大吉」みたいな内容の結果が出ても、
「あなたが正しい道を歩いていれば願いはかなうでしょう」
「おごらず、へりくだっていれば、災いはさけられるでしょう」
などという感じで、まず、占う人自身の姿勢が問われるのだから。
そして、すべてのものは、「陰(いん)」から「陽(よう)」へ「陽」から「陰」へととめどなく移り変わり、一つのところに止まってなんかいない。
例えば「山風蟲(さんぷうこ)」などという「卦」(結果?)があったりする。
これは、「山が風をせき止め、腐って虫がわいていまう」といった形を象徴している。
風通しが悪く停滞してしまうと、そこに腐敗があらわれてしまうということだと思う。なんか政治や組織の世界に通じる姿を示したりもしている。
まあ、政治を行うことについては、必ず批判がついてまわる。これを無理やり押さえつけることも、腐敗をまねくことではある。
長く続いた 安倍政権は、安定した政治を行ってきたという意味では評価できるのだと思う。しかし、外にも内にも競争相手による緊張が少なく、後継者の芽もあまり育っては来なかったのではないかなと、とーとが勝手に偉そうな評価をしてもまあ意味ないか。
緊張感という意味では、「官邸主導」というのも、「官僚」が力を持つという、それまで弊害とされていたことから、国民に選ばれた人々から構成される「内閣」に力を移したのは、ある意味成功なのだろうが、政治家というのは「選挙に勝つ」のが大前提だから、どうしても、「今」が優先になり「大衆におもねる」傾向がでる。
先を見越して政策を提言できる優秀なスタッフが育っていたのだろうか?政治家におもねる人しかポストを得られないのも緊張感を欠いた「風がせき止められた世界」だったのではなかったろうか。政治家と官僚も、緊張感をもって、論議ながら政策を作り上げてゆかなくてはならなかったのではないかなあ。
今、世界中の人がコロナ禍で苦しんでいる。日本ももちろん例以外ではない。
どうにも、政府のやることなすことが後手後手にまわっていると多くの人が感じているのではないかと思う。
これも、今までの「山風蟲(さんぷうこ)」の形から来た弊害であったようにも思う。
易については、昔から優れた人が、思想面でも優れた解釈をしているようだから、とーとの陳腐なたとえ話は笑われるだけだと思うけど、興味がわいたら、占いの解説書からでいいからみてみるのもいいかも。原典にたどり着くのが理想だけど。
さて、「一陽来復(いちようらいふく)」というのをごく簡単に示すと、
「地」の下に「雷」がある形になる。
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ーーー
こんな形
上の3本が「地」
下の3本が「雷」
ー - は「陰」
ーーー は「陽」
真っ暗闇の世界に光が差し始めたかたち
寒い冬が去り、春の兆しが見えるかたち
地面の下から芽が出てきたかたち
この間、君と行ったお寺で「一陽来福」と記されたお札をいただいてきたね。
春がきっとやってくる。
苦しかったなあ 1年。
まだ先が見えないなあ。
でも「冬来たりなば春遠からじ」「明けない夜はない」
みんな 絶対に春は来るからね。
「なんとかなる」(斎藤ひとりさん)
今年、何回リリースできるかわからないし、あんまりジョークもとばせる状態じゃないから内容もつまらなくなる(もともと!)とおもうけど、おりにふれて、また近況を綴ります。
数少ない読者の皆様ばかりでなく、全世界の方々にとって明るい年になりますように。
もちろん、自分が第一だけど(笑)
ではまた。
今日はこれまで。
ことしもよろしく。