とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

轉禍為福~5(近況報告)

とーとです。

 

ずいぶんと、ごぶさたしております。

とにかく、余裕がありませんでした。

遠距離通勤で時間をとられ、睡眠時間を確保するのを優先する生活です。

自動車を運転しての通勤ですので、事故でもおこしたらえらいことです。

しかし、つかれてます。

ついつい、疲労を訴える言葉が口をついて、息子にも心配をかけています。

先日は、1日寝込んでしまいました。久しぶりに1日寝ました。

 

妻は、リハビリ入院中です。

1か月後くらいには退院の予定ですが、自立した生活は当面無理です。

そのため、自宅に戻った時のための、介助の練習なども始まっています。

とにかく、様々な準備にも忙殺されています。

 

前回話した、腸内環境を整えるサプリは続けています。

うなされなくなりましたが、効果が出たのか、疲労の蓄積でうなされどころでなくなったのかは不明です。

 

この2か月いろいろなことがありました。

兄貴のような存在だった方を喪いました。

朝、急に倒れ、意識が戻らず、翌日亡くなられました。

まだ信じられません。

田舎では、葬儀は、多くの人の手を経て、亡くなった方を送りますが、新型コロナウイルスの関係で、簡素な形になってしまいました。若くして亡くなられたからこそ、にぎやかに送ってあげたかったのですが、そういうわけにもいかなかったことも、いまだに実感がわかない要因かもしれません。

 

みなさんも、いろいろな事情を抱えて生きていられると思いますが、私も、一時は、「自分で命を絶つつもりはないけど、べつに死んでしまってもいいなあ」などとぼんやり思っていました。しかし妻が倒れて、そういうわけにもいかなくなりました。そして、親しい人の若くしての死。妻が拾った命。生きることが重いものだと改めて思います。

ただ、このブログに綴らないこともいろいろあり、ずっと、たいへんなことが、手を変え品を変えてやってきています。

上司は、「法的にグレーだとか、自分の矜持が許さないとか、そんなことは脇に置いて、積極的に状況を打破することを考えないとだめだ」などといいます。

しかし、いろいろなものが降ってきすぎて、下手な小細工は逆効果のような気がします。なれない方向に走ってもうまくいきそうもないし、「誠実」に生きてきたのを別に誇るつもりはないですが、別の生き方をしようとするつもりにはなれません。一人の力でどうこうできることはたかが知れています。

みなさまに助けていただきながら、今日まで生きてこられました。そういう感謝の中で生きてゆきたいです。

なんとなく、達観まじりの今日この頃です。

仕事での誰もほめてくれない小さな達成感と、息子の作ってくれるオムレツを楽しみに

 今日を生きています。

 

さて、君とはいろいろ話すようになって、ブログで伝えることも少なくなった。

だけど、試しに、今の世の中について、とーとが思うことをすこし綴ろうか。

 

新型コロナウイルスは、一時期かなり収まってきたが、非常事態宣言が解かれて時間が経過するにつれ、再び流行の兆しをみせている。というか、すでに第2波の流行が始まっている。ここ数日、東京では200人を超える感染者が出ているし、地方の都市であるこの地も、ぼつぼつと、クラスターや市中感染かもしれない患者さんが発生したりしてきた。

今となっては、当然といえば当然なのだが、当初は、誰もが、「このままおさまりますように」祈っていたんだよな。

しかし、東京を除いて「GO TO キャンペーン」は大混乱を引き起こしながら開始された。

政府の右往左往の対応を、観光関係の事業者さんが困惑し、批判している。

それはそれでまったく当然なのだと思うけど、キャンペーンを待ち望んでいたのは、ほかならぬ観光業界の方々のなではなかったなあ。

冷静に人命を第一に考えれば、いま、旅行観光をおすすめする時期とはとても思えないが、政治とは支持してくれる人がいて、その人たちの意向に沿うようにすすめるものだ。

「最終的には政治判断で、政治が責任をとります」などと政府の方は言っているけど、利益を求める人たちの欲求に基づいて動いているのが政治家という人々の一面でもある。

だから、これから、すごい状態になって、医療崩壊するかその直前までは、経済活動は止められないだろうと、とーとは予想している。

経済を止めるのも、やはり命の問題を含んでいる。

ワクチンができるのを待ってもいられず、前回ほどの活動規制?もかけられず、病気が蔓延して、結局は経済活動が停止してしまうのが、最悪のシナリオだけど……。

いろいろ批判もあるけど、誰が国のリーダーでも、この流れをかえるのは難しいような気がしてならない。

 

今回の疫病は、社会生活を変えたといわれるが、とーとのみるところ、社会生活は変わっていなくて、小手先で現況を維持しようと必死になっているようにみえて仕方がない。さっきの「GO TO キャンペーン」もその類のひとつといったら怒られるだろうなあ。

飲食、観光、夜の街、カラオケ、会社への通勤

隙間を開け、マスクと消毒と換気をしても、やっていることは、前と同じことだよね。

そして、前と同じ状態に戻そうとしている。

これからは、もっと、根元から変わらざるを得ないことになるのではないかなあ。

今の文化を残すことは大切だけど、文化というものは、その時代時代で形を変えてきていることも事実だ。

生き残りをかけるならば、大胆に変える工夫がないと淘汰されてしまう。

このままの状態では、禁止しなくても、お客さんが来ない状態が続いてしまうと思う。

修行して、資金をためて、自分の店を持って、お客様も定着してと、人生をかけて、血のにじむような努力をされてきた方に、その店を捨てろというのはあまりにも残酷だ。しかし、時勢がその形態を排除してゆくのであれば、あがらうことはできないのではないか。いずれ、まったく新しい形が、模索のなかでつくられてゆくのだろう。

 

「COVID-19」が、珍しくない普通の病気として定着しちゃうんじゃないかという、あきらめのような予感もある。

 

まあ、いろいろと憶測を交えて話したが、とーとの予想は当たったことがなく、想定外の連続だったから、大丈夫か?

 

国際的にも、経済は大きなダメージを受けたし、今もなお続いている。

V字回復できるのか? 大きな不況の予感もある。

暗い話ばかりで申し訳ないが、どうしても、そちらも気になるのだよ。

そして、香港の問題、他国の領海への頻繁な侵入、スパイ・ハッキングなど、中国のなりふりかまわない行動が目についてきている。

それまでの、「一帯一路」構想の流れもあるのだろうが、今後の世界的な恐慌にそなえて、利権の確保をめざしているというのは考えすぎだろうか?

アメリカとの直接的な対立が戦争などに結びつかなければいいけど。

 

やっぱり、この場で心配してもはじまらない。とーとの予想はあたらないことになってるのだ。

 

ただ、いつも言うんだけど、

政策や政治批判をしても、それを決める人を選んだのは自分たちだということ。

その決定に、間接的でも関与しているのも自分たちだということ。

「わかんない」「関係ない」などといっても、責任は結局自分たちがかぶるということを自覚できれば、「災い転じて福となす」ことになるのだけれど。

大きな試練の前で、みんなが

変われるか

変わらざるを得ないか

変わらなくてすませるのか

そういう局面にあるのだろう。

 

大変でなかったときはなかった。

なんとかなってきた。

だから、大丈夫、大丈夫。

 

みんなも大丈夫

君も、お母さんも、とーとも大丈夫

大丈夫

 

次回はいつになることやら。

楽しい話のネタが仕入れられますように!

 

今日はここまで。