とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

完璧(かんぺき)〜5

とーとです。

 

体と心の状態や、私的なこと、仕事のことなどで、もう少ししたら、このブログも夏休みをいただこうかと思っています。

ちょっとしんどいなあと思うことが増えました。

 

さて、

上司との雑談で、河島英五(かわしまえいご)の「時代おくれ」という歌の話が出ました。

全く知らなかったのですが、最近は便利ですねえ。YouTubeで歌が聞けました。

いい歌でした。

その歌詞で

「子供に愚痴を聞かせずに」

というのがありました。

ドキッとしました。

 

このブログで「君」として、呼びかけている息子に愚痴を語っている自分がいたからです。

 

親として失格ですが、そのことを上司に話したら、

「聞いてくれる人がいるだけいいんじゃないか」

そんな風に言われました。

はたしてそうなのかどうか。

みんな孤独なのかもしれません。

孤独ななかで、心を許せる存在があるというのはありがたいのですが、甘えてもいけないのかもねえ。

このブログだって、振り返れば愚痴の連続ですよね。

愚痴をこぼさず生きてゆけたらいいのだけれど、そうしたら多分、もたないだろうなあ。

 

愚痴を我慢するのではなく、そんな言葉を発しなくてもよいような心境になれればいいのですけれど…。

まあ、「明るく楽しく」これしかないか。

 

さて、完璧(かんぺき)

いつまでも、このタイトルで引っ張っている。

完璧の故事成語については、前回で終わったのだけれど、藺相如(りんしょうじょ)という人は、まだまだ活躍するのだ。

 

無事任務をはたして帰国した藺相如(りんしょうじょ)は、王様の信頼を得るようになり、国の政治に大きく関わるようになった。

 

ここで、またしても、秦(しん)の国から使いが来た。

「両国の友好を祝う宴会を開きたい」

ということだ。

しかし、会場は秦(しん)の国内。国境から、だいぶ離れた場所が指定されていて、万一の時に助けに行くのはむずかしい。

秦(しん)は、これまでの話でも述べたように、信用がおけない国であり、今回の話も、どのような魂胆があるのかわからない。

 

趙(ちょう)の王様は行くのが嫌だったが、家臣に、

「行かないとなめられてしまい、さらに無理な要求が来るかもしれませんよ。さらに、他の国にも侮られてしまいます」そう説得された。

この意見には、国の勢いを弱めてしまうこと、家臣、国民の士気を弱めてしまうことへの恐れがあるように思う。ときとして、国は内側から崩れてしまうことがある。

そして、弱みをみせて他国からつけ込まれることも恐れなくてはならない。

 

説得された趙(ちょう)の王様は、宴会の会場へ向かう。

お祝いの宴会だから、多くの軍隊を連れては行けない。

藺相如(りんしょうじょ)も、王様に同行した。

 

宴会では、秦(しん)の王様が、趙(ちょう)の王様にしつこく

「琴を弾いてくれ」

と求めた。

仕方なく、趙(ちょう)の王様が琴を弾くと、秦(しん)の王様は、記録官に

『秦(しん)の王様は、趙(ちょう)の王様に琴を弾かせた』

と記録させた。

これは、趙(ちょう)の王様を、自分の家来よりもさらに格下の、「音楽を奏でる人:使用人」とみなして侮辱しようという魂胆があった。

 

藺相如は、秦(しん)の王様に近づき、素焼きの器を差し出し、

「秦(しん)では、宴会の席で、器をたたいて歌うと聞いています。両国の友好を祝って、たたいてください」

そう要求した。

この風習は確かに秦(しん)にはあったが、あまり品の良いことではなかったそうだ。

なにより、王様に、他国の家来が直接要求するのは無礼とされても仕方ないことだった。

秦(しん)の王様は怒ったが、藺相如(りんしょうじょ)は、

「私と王様の距離は、わずかしか離れていません。私の首をはねて、その血をあなたに注ぎましょうか?」と言った。これは、「断ったら、あなたを道連れにして死んでもいいんですよ」というおどしだった。

秦(しん)の王様のそばにいた兵士も、藺相如(りんしょうじょ)の気迫のすごさに動けなかった。

 

仕方なく、秦(しん)の王様は、器を一度だけたたいた。

そこで、藺相如(りんしょうじょ)は、

『趙(ちょう)の王様は、秦(しん)の王様に、瓶(器)をたたかせた』

と記録させた。

 

このへんまでくると、現代人にはなんだか意味がわからないような世界ではある。

 

国のメンツをつぶそうとするのを、決死の思いでやり返しているといったところだね。

 

国の勢いというのは、人口や面積ばかりではない。

国民の誇りや、活力といったものがある。

相手を意気消沈させることにも、大きな意味で戦争だったんだろうなあ。

 

国際世論として、他国になめられるのもまずいという面もある。

 

こうしてみると、先に話した「和氏の璧(かしのへき)」のことについても、政治的、戦略的な意味があるように思えるね。

 

この後も、秦(しん)からの圧力を受けるが、藺相如(りんしょうじょ)の機転と勇気で乗り越えて、格下扱いを受けずに、面目を保って帰国できた。

 

勇気ってなんだろうね。

知恵とはなんだろうね。

 

藺相如(りんしょうじょ)が示した行いが、勇気と知恵のすべてだとは思わない。

ほかにもいくつもの方法があったのかもしれない。

 

しかし、

とーとは、知恵がなく、うろたえながら生きている。

勇気がなく、くよくよと生きている。

あらら、こんなこと言っててはいけなかった。

「明るく楽しく」

 

今日はここまで。