刎頸(ふんけい)〜1
とーとです。
なにはともあれ、明るく楽しく。
実は、いろいろあって、苦しいのですが、そんなことを言っていては、1日数件のアクセスでも、覗いてくれる方に申し訳ない。
もともと、息子に向けてメッセージを発しはじめたのですが、それ以外の方にもお読みいただいているみたいで、このようなつたない文をおよみいただいて、ありがたいような、恥ずかしいような…。
もう、投稿をはじめて、1年が経過しました。
いろんなことがあったなあ。
今は週1回のペースですが、当初は2日に1回でしたから、よく続いてきたものだと思います。
激動の1年でした。
息子も成長しました。
おやじは、ひとつ齢をとりました。
まだまだ、おやじも成長しなければ。
そういえば、最近、自分と同年代や年上の方で、「すごいなあ」と感じる方をお見かけすることが多くなったように思います。
「お前もまだまだがんばれる」
そういう啓示なのかもしれないと思うことにします。
とーとは、人付き合いが苦手で、暇さえあれば本ばかり読んできた半生だったように思います。
現実の世界と、本やパソコン、スマホの中の世界とはやっぱり違います。
実際に他人と会話をさせていただくと、ひとりの人間の中に多様な人格が存在していることに気づきます。それらが混在して、ひとりの人間ができています。
鼻に付く嫌なとことも、愛嬌のある愛すべきところも、すごいなあと感心してしまうところも、いろいろなもの、正反対のものが混じり合っていて、言葉にして書き出すと、その人格は、本物と違うものになってしまいます。
「におい」とでも言いましょうか。そんなものを相手から感じ取れる感性が重要なのだと思うのです。
だから、息子には、人の中に出て行くように、このブログの中でもすすめてきました。
最終的に、何を信じて、何を否定するか。これは、「人」にかかっているように思うのです。
息子にばかり外に出ろと言っても、おやじが、職場と家との往復ではまずいですね。
なるべく外に出て、いろんな人、いろんな出来事と関わるようにしなければと思います。
もう少し世界が開けたら、このブログの中身も変わるのだろうと思います。
前回も申し上げたように、少し、お休みをいただくつもりです。
さて、お題の「刎頸(ふんけい)」について。
先に「完璧(かんぺき)」で話した「藺相如(りんしょうじょ)」の続きの話になる。
藺相如(りんしょうじょ)が、国の危機を、その知恵と勇気で救ってきた話をこれまで話してきた。
当然、王様の信頼も高く、異例の出世をとげた。
そうなると、それを、快く思わない人も出てくる。
将軍がいた。名前を「廉頗(れんぱ)」というのだけれど、固有名詞ばかり並べると読みづらいだろうから、「将軍」で通すね。
この将軍は、藺相如(りんしょうじょ)について、
「私は、多くの戦争で命がけで手柄をたて、国を支えてきた。しかし、あいつは、低い身分の出身のくせに、口先だけで私より上の位になった。とても不満だ。見かけたらただではおかないぞ!」
と公言していた。
藺相如(りんしょうじょ)はこれを聞いて、将軍と顔を合わさないように気をつかって、行動するようにしていた。
ある日、道で将軍と出会いそうになったときには、脇に隠れるといったことまでした。
これを見たていた家来たちは、
「あなたを尊敬して従ってきましたが、あなたの行は恥ずかしいおこないなのに、恥じ入る様子もない。もはや、あなたにお仕えすることはできません」
そう言った。
藺相如(りんしょうじょ)は、家来たちに、
「将軍と秦(しん)の王様とどちらが恐ろしいか?」
とたずねた。
「将軍より秦(しん)の王様の方が恐ろしいです」
と家来たちは答えた。
「私は、その、秦(しん)の王様を叱りつけてきた。それなのに、将軍を恐れると思うのか。私がこのような行動をとるのは、私と将軍がいるから、この国は他国に攻め込まれないからなのだ。私と将軍が争うようなことになれば、共倒れとなり、この国は滅びてしまうだろう。それを避けるためならば、このような小さな恥など何ほどのことがあろうか」
そう、諭す藺相如(りんしょうじょ)に、家来たちは納得した。
このことが、噂となり、それを聞いた将軍は、大いに自分のことを恥ずかしいと思い、着物の片肌を脱いで、いばらの鞭を背負い、その鞭で自分を打ってくれるようにと謝罪した。
これを「肉袒負荊(にくたんふけい)」と呼ぶのだけれどね。
少し大げさの感じもするが、当時の人の感情の表現だったのだろう。
藺相如(りんしょうじょ)は、将軍を快く許し、
「将軍がいてこそ、この国は保たれているのです」
言った。
感動した将軍は、
「あなたのためならば、喜んで首を刎ねられましょう」
と言い。
藺相如(りんしょうじょ)も、
「私も将軍のためならば、喜んで首を刎ねられましょう」
そう言った。
このような誓いをむすんだことから、
「刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)」
という言葉が生まれ、
志を同じくする友人を
「刎頸の友(ふんけいのとも)」
と呼ぶようになった。
長文になったなあ。
脱線は次回にするよ。
今日はここまで。