とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

完璧(かんぺき)〜3

とーとです。

 

ぼんやり、テレビの俳句の番組を観ながら、下書きを書いています。

 

しかし、俳句というのはすごいですね。

 

解説を聞いているうちに、少し疲れました。

 

早朝に起きて、出勤前に、荒れ放題の庭に除草剤を撒いたせいかもしれません。

この光景でも一句詠めるかな?

 

「5ー7ー5」の17文字で、いかに世界を表現するかということを突き詰めていく。

そこまでしなくてはならないのかというまで、「推敲(すいこう)」を重ねる。

助詞の一文字まで選定をしてゆく。

 

芸術というのは、ある時には、命を削る思いで挑まなくてはならないのかなあと感じてしまいました。

もう、そんな世界について行く気力はないですねえ。

 

素人には、ただ、情景を述べているに過ぎない、つまらない感じのする、平凡と思われる作品が、高評価を受け、解説を聞いてはじめて、「ああ」と納得する。

わかる人にしかわからない世界に突入しているのかなあなどと、不心得にも思ってしまったりします。

なんか、「絵」や「書」の世界にもそんなところはありますね。

 

さらに、突き詰めると、狂気の世界に突入してしまうような感じでしょうか。

 

そういえば、少年時代に、知り合いに、ダジャレの大好きな奴がいました。

最初は普通のシャレを披露して、まわりにもそこそこうけていたのですが、行き着くところまで行くと、

「エンピツはエンピツ」

とブツブツ言って、ひとりで「クックッ」と笑っているという不思議な境地に達してしまいました。

優しくて、頭脳明晰な、優秀な男の子でした。

今。何をしているのかなあ。

 

たとえが適切ではなくて、多くの芸術に携わる方、芸術を愛される方には不快だったかもしれません。お詫び申し上げます。単なる連想からくる思い出話ですので。

 

実は、私自身、狂気に近いところにいます。

学生時代、下手な「詩」など作っていました。

最初は説明的なものでしたが、そのうち語数の少なく短いものになり、自分にしか理解のできないようなものになってきて、怖くなって筆を折りました。

「筆を折る」とは大げさですし、大したものを書いていたわけではないのですけれどね。

 

ああ、先に出てきた「推敲(すいこう)」も故事成語でした。

またの機会にご紹介しましょうか。

 

さて、「完璧(かんぺき)」

 

あらましが長くなるが、意図的に引っ張っているわけではない。

いろいろ、話しておかないと、本題に入れないのだ。

 

「趙(ちょう)」の国で、「秦(しん)」への使者の人選に困っていた時、ひとりの大臣が推薦したのが、「藺相如(りんしょうじょ)」だった。

推薦の理由はこうだ。

 

以前この大臣が罪をおかしたとき、別の国に亡命しようとした。

藺相如(りんしょうじょ)は、その大臣に、なぜその国に亡命しようとするのか尋ねた。

「以前から、その国の王様に、『ぜひ友人になってほしい』と言われている。その王様ならば、私を暖かく迎え入れてくれるだろう」

そう答えた大臣に対して藺相如(りんしょうじょ)は、

「あなたが亡命しようとしている国は、この国よりも力の劣る国です。あなたと友人になりたいというのも、我が国の力を恐れてのことです。今亡命しようとしても、我が国の力ををおそれて、捕らえられ、送り返されてしまうに違いありません。

それよりも、いま、進んで王さまに謝罪して、自分の罪を裁いてもらうようにすべきです。そうすれば、潔い態度を認められて、罪が軽くなるでしょう」

そう言った。

もっともだと思った大臣は、藺相如(りんしょうじょ)の助言をいれて、自分の罪を認めて、王さまに裁きを求めた。

その結果、大臣は王様に許されて、信頼を取り戻した。

そういう理由で、大臣は、藺相如(りんしょうじょ)を、難しい役目の使者に推薦したと王さまに話した。

王様も、藺相如(りんしょうじょ)に会い、知恵と勇気を認めて使者になることを命じた。

 

さて、話はまだまだ本題に入っていないけど、脱線。

 

以前、「虎の威を借りる狐」の話などしたと思う。

した本人があまり覚えていないけどね。

 

今回の大臣が亡命しようとする話はこれに近い。

 

尊敬されるということ、これは、自分の何を尊敬されているのかをじっくりと考える必要があるよね。

 

自分が属している組織、地位、財産などをうしなっても、なお、自分を愛し、認めてくれるかどうかというのはきびしいかな。

 

でも、「地位」も「金」も「名誉」も「コネ」も自分を構成している一部に変わりはないとも言えるよね。

前は、真逆なことを言ってたような気もするけど、こういうのもありだよね。

 

それはそのとおりなのだけれど、そうなると、それに、しがみつくことにもなりかねない。

 

窮屈なことになる。

 

他人の評価など関係ないという境地になれればいいけれど、やっぱりほめられればうれしいし、けなされれば悲しかったり、腹が立ったりする。

人は、どうしても、他人との関わり合いの中でいきてゆくしかないからなあ。

 

俳句の話から引き続いて、めんどくさくなってしまった。

 

ああ、めんどくさい。

 

今日はここまで。