四知(しち)〜2
とーとです。
絶好調と言いましょう!
などと以前はほざいていましたが、
記憶力の低下と無気力に悩まされています。
お彼岸が近くなり、仏壇や仏間の掃除に追われています。
しばらく掃除してなかったので、ほこりだらけです。
どうせ、また、ほこりが積もるのだから、やっても無駄だよなあ。
でも、どうせまたお腹が減るから、ご飯を食べないというわけにはいかないから、お掃除も、定期的にやらなければいけないのでしょうねえ。
もともと怠け者ですから、やらなくてすむことはしたくないです。
しかし、小心者なので、心配事になるとあせって動き回ります。
あああ、悩みなどない世界で、ぼーっとしていたい。
結局、あの世に行ってしまった状態を求めているのでしょうか?(お彼岸だけに!)
でも、せっかく生きているのだから、何かしなくちゃもったいない!
しかし、やりたくもないことが多すぎる!
愚痴はここまでにしましょう。
いつものことで、気分に波がありますから、そのうち元気になれると思います。
さて、四知(しち)の続き。
君は、とーとより潔癖だというのは見ていてわかる。
若いということもあるが、我が子ながら立派だと、感心することがある。(息子自慢か?)
でも、同じ年頃の人でも、差があるよね。
若くても、ずるい考えに染まっている人もいる。
まじめに遠回りしている人を「要領が悪い」とあざ笑ったりしている人もいる。
君だって、まだ、これから、いろんな体験をして、感性や思想はどんどん変わってゆく。
とんがったところが、ほどよく削られるのか。ブレずにそのままいくのか。どちらにしても楽しみなことではある。
ただ、絶望だけはしないでね。
これまで、幼いながら、大きな試練を背負ってやってきている君を見ている。
出口が見えなかったよね。でも、今日まで来た。
絶望しなかったから、今日まで来れたと、とーとは思う。
そんな君はとても素晴らしい。これからもずっと素晴らしい。
これからだって、いろいろなことがあるだろう。
できるだけ、軽々と受け止めていってほしいなあ。
「天」「地」「子(あなた)」「私」
少なくともこの4つの存在は、かくしだてができないんだよ。というのが、四知(しち)という言葉の意味だよね。
「お天道様が見ている」なんて言葉もある。
しかし、とーとは、もう、天地に恥じてもいいと思っている。
君には軽蔑されるかな?
少しくらい、自分の信条に恥じる行為をしても、背負っているもののためにはやむを得ないこともある。具体的なことは言えない。
言い訳めいているけれども‥。
以前「きれいすぎる」と評されたことがある。
それが、自分をしばっているのだとも分かっていた。
自由に近づくには自分が変わらなくてはならないと思った。
病気にもなったし、それ以外にもいろいろなことがあった。
「蓮(はす)は泥の中から美しい花を咲かせる」そんなきれいな境地ではないなあ。
高みを目指して研鑽する人がいる中で、とーとは、この歳になって、世俗の塵埃に、あえてまみれようとしている。
だから、もうすこし、おおらかに、少しくらい道から外れても、誰かを傷つけなければいいのだと考えを改めようと心がけてきたよ。
でも、やっぱり、天地に恥じても、「人」を裏切ることはできないなあ。
最低、この世界で人として生きてゆくには、やはり「人」は大切にしなくてはいけないんだろうね。
いくら孤独を愛しても、人との関わりを全く絶っては生きて行けない。
疲れることもあるけれど、人とのつながりを楽しみ、愛して生きてゆく。
それがすべてだろうと思う。
だましたり、だまされたり。それを楽しむ人生もあったりする。
それはそれで、お互いが楽しければいいのだろうけれどもね。
みんなで笑いあえる世界がとーとは好きだ。
そのためには、少しくらい自分にうそをついてもいいと思っている。
お天道様を偽ってもいいと思っている。
「そんなの違う!」そう思うのは自由だけど。
これも、自分をしばっていることになるのだろうか?
四知(しち)の言葉の元になった人は、そのまっすぐな言動により、後に、その命を失った。
悲しいけど事実だ。
とーとは、君に軽蔑されても、君のためにも生きてゆくよ。
なんか深刻になっちまった。
疲れてるなあ。
寝よう。
今日はここまで。