鼓腹撃壌(こふくげきじょう)〜1
とーとです。
体がなまりきっています。
庭の草取りを、1時間あまりやったら、筋肉痛になりました。
これからどうなってしまうのでしょうか。
ヨガ以外にも、体を動かすようにしなければなのですが、根が怠け者です。
睡眠時間を削って体を鍛えるのも本末顛倒のような気もしています。
すると、さらに、体がなまり、さらに、体を動かさなくなるという、負の連鎖が続いてしまいます。
なんとかせねば!!!
さて、鼓腹撃壌(こふくげきじょう)について。
中国の伝説時代の「王様」というか、政治を行った人に「堯(ぎょう)」という人がいた。
伝説では、理想の政治を行ったとされている。
徳が高く、知恵にも優れ、太陽のように暖かく、恵の雨を降らせる雲のように偉大だったと記されている。
民を思い、宮殿も質素であったそうだ。
天下を治めて50年になったが、世の中が治まっているのか、治まっていないのか、みんなが自分が政治を行うことを望んでいるのか、いないのか、わからなかった。
側近に聞いたがわからなかった。
自分の周りの民間人や有識者に聞いてみたがわからなかった。
そこで、身分がわからないように、身なりをやつして、にぎやかな通りに出てみた。
子供たちが歌を歌っていた。
「王様のおかげで、私たちは生活ができています。私たちは、知らず知らずのうちに、王様をお手本にしています」
「堯(ぎょう)」をほめたたえる歌だった。
さらに行くと、老人がいた。
口に食べ物をほおばり、お腹をたたいて腹鼓(はらつづみ)を打ち、足を踏み鳴らして調子をとりながら歌っていた。
「日が出たら仕事をして、日が沈んだら休む。
井戸を掘って水を飲み、畑を耕してご飯を食べる。
王様の力なんか、私にはなんの関わり合いもないことだ」
話はここで終わる。
老人が、お腹を叩いて、足を踏み鳴らして歌を歌った様子から「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」という言葉が生まれたそうだ。
それを聞いた王様がどう思ったかも原文にはないらしい。
ただ、後世の人々は、これを政治の理想としているから、王様は満足してその場を去ったとされているものもある。
支配し、支配されることのない政治とでもいうのだろうかね。
しばられずに自由に生きられて、幸福であれば素晴らしい。
しかし、幻滅させてしまうかもしれないけど、あくまでも伝説の世界での、理想論の話としておいた方がいいみたいだ。
総理大臣の名前を知らない人がどれくらいいるのだろうか?
そういう人が、今に満足しているかというと話は別だったりする。
「よくわからないけど、政治家と役人が結託して、悪い政治をしている」などと口にこそ出さなくても、思っている人は、けっこう多いのではないかなあ。
「満足」と「無関心」は別なのだよね。
話はとぶけれど、
王様は、人々が歌う歌によって、自分の政治がどう感じられてるのかを知ろうとした。
歌によって、未来を予知するというのは、昔の中国の世界ではときおりみられるね。
今のように、録音とかできないから、人々の口づてに歌が流行した。
これは、人々の心の反映ととらえることもできるよね。
「不吉な歌」が流行するということは、みんなが不安を抱えているからだと言える。
ずいぶん昔に、「流行歌で未来がわかる」という占いをしている先生の講演を聞いたことがある。
君は知らない歌だと思うけれど、「都はるみ」という有名な歌手の歌で「北の宿から」というのを例にして話したくれた。
衣類業者から、この冬は「暖冬」かそれとも「寒い冬」か尋ねられて、
この歌のフレーズ
「着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて編んでます」
から、
「セーターを着てはもらえないのだから『暖冬』です」
と当時の気象予測と逆の予測をして、見事的中させた話などをされていた。
面白おかしく話されたせいもあって、周囲の人はあまり信じていないようだった。
占いの先生は特に説明しなかったけど、
「『景気』は、みんなの気分で動くものだし、未来予知などはユングの「集合的無意識」の考えともつながるなあ」と、とーとは感心した記憶がある。
多くの人の無意識のつながった、自分では気づかない深い世界が表面に現れるのが、歌の流行とも言えるのかもしれない。
こむずかしい、変な方に脱線してしまった。
今日はここまで。