鼓腹撃壌(こふくげきじょう)〜2
とーとです。
頭が冴えません。
疲れている。
眠い。
振り回されている感じが強く。疲れています。
今朝もうなされて、目が覚めまさした。
へんな夢ばかりみます。
まだおきるまで時間があるからと、布団にいても、不安や心配ばかりが浮かんできて、苦しいです。
それでも、休んでおかないと、日中のことに差し障るのではないかとがまんして布団にいました。
なにやっているんでしょうねえ…。
ヨガを続けたせいか、環境に変化が起きています。
前向きに流れる方向が見え始めていますが、いろいろ考えたり、準備したりすることも多いです。
やはり疲れてますね。
ヨガの目的のひとつに、心に浮かんで得ることに、過剰に振り回されないで、静かに安らげる境地を得ることがあるそうです。
早くそうなりたいですが、ほんとうに、多くの不安や心配、やらなくてはいけないことが浮かんできて、心が騒々しいです。まだまだですね。
それにしても、先週は、アクセスが60件を超える日がありました。
いつも、多くて20件程度、少ないときには1桁なのですが、なにか、間違いがおきたのかと、うろたえました。
今は、通常に戻っています。
理由が全くわかりません。
だれか教えてください!
さて、「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」の続き。
この、故事成語の世界が伝説の理想論かどうかは別として、王様は、何もしていないように見えて、あって当たり前の、たとえば「お日さま」のような存在だったのかもしれないね。
よく言うのが、親しい人の存在。
「親」「友人」「配偶者」など、そこにいるのが当たり前の存在なのだけれど、離れてみたりすると、そばにいてくれるありがたみを感じたりすることがよくあるものだ。
あって当然だけど、とても大切な大きな存在。
いくつもあると思う。
ぞの存在は、気付かれなくてもいいと感じていると思う。見返りを気にしてはいないから。
それで、いいのだとおもう。
ただ、できるのであれば、全てに感謝する心を持てたら、人生は幸福かもしれない。
全てのものに仏様があるそうだ。
獣、虫、花、草など生きとし生けるものばかりでなく、岩や、石や、山にも仏様はいらっしゃるそうだ。
世界のすべてに感謝しよう。それが求められていなくても。
やっぱり感謝しよう。
それが、幸せへの道になる…ような気がする。
少しのことで、イライラしてしまうとーとは、今の自分の言葉で、このままじゃまずいなーと思い始めた。
気持ちをいれかえるために、何かしようと思うが、何をすればいいのかみつからない。
いつのまにか、つまらない人間になって、君に見せる背中がみっともないものになってしまっているのだろうか。
少し余裕を持って、もう少し、幅と余裕のあるスタイルになりたいなあ
じゃなくて 俺はなる!
そういうことで、少し短いけど、余裕をもってここまでにする。
今日はここまで。