敗軍之将、不可以言勇(はいぐんのしょうはもってゆうをいうべからず)〜1
とーとです。
前回、背水の陣(はいすいのじん)を書き終わってから、また少し思うことがあったから、そこから始めます。
たくさんの偶然が重なって、すごい確率の中から、私たちはこの世に生を受けた。
生まれてからも、いくつもの偶然と幸運が重なって、今こうして生きている。
少しでも違った選択があれば、この世に生まれていなかった。
何かで、命を落とす危険は、毎日のようにあふれているが、なんとなく、乗り越えて、まだこの世にいる。
こう考えると、この瞬間こそが、「背水の陣」なのではないのなあ。
常に、崖っぷちを歩いている。それが人生かもしれない。
こうなると、本当に、神様の存在を信じないと、今ここに生きていられる説明がつかないと考えてもおかしくないねえ。
何か、大きな力に、私たちは生かされているのかもしれない。
その理由は、私たちの理解の及ばないものかもしれないけど。
いろいろあるけど、感謝の心は持った方がいいような気がする。
とにかく、まだ生きている。
さて、今回のお題は、「敗軍の将は兵を語らず(はいぐんのしょうはへいをかたらず)」の方がよく知られている。
原典は表題の方らしい。
韓信(かんしん)が背水の陣で、敵を破った時の話。
実は、韓信(かんしん)の軍が攻めてきた時に、敵方の参謀の一人が、
「相手は、狭い道を通ってこちらに向かっています。私が兵隊をひきいて、敵を分断します。相手は食料の補給もできず、進んで戦うこともできず、引き上げることもできなくなります。
城を固く守って戦わないでください」
そう進言した。
しかし、
数が多く、守りの固い城にいるのに、わざわざ策をめぐらせなくても、正々堂々と戦って、相手を打ち破る方がいいし、評判も高まる。
そんな、判断のもとに、進言した作戦は採用されなかった。
それを、スパイから聞いた韓信(かんしん)は、大いに喜んだという。
そして、戦は、韓信(かんしん)の大勝利に終わった。
敵の参謀は、殺さずに捕まえるように強く命令してあったので、捕虜にされて、韓信(かんしん)の前に引き出された。
韓信(かんしん)は、その参謀を、「先生」と呼び、これからの自分の軍の進め方、作戦などの教えを受けようとした。
その時の参謀の答えが
「負けた軍の指導者は、作戦のことを語れません。滅びた国の家臣は政治のことを語れません。私はまさにそれにあたります(私には、あなたには作戦を語る資格はありません)」
そう言ったのが、この故事成語のもととなった。
韓信(かんしん)は、へりくだり、熱心に説得して、ついに、この参謀から、今後の軍隊の進め方などの教えを受けることができた。
そして、成功をおさめ、ますます、力を増して行く。
今日はここまで。