四面楚歌(しめんそか)〜1
とーとです。
大切な人を喪ったのですが、悲しみにひたるまもなく、手続きなどに追われています。
とても疲れています。
なんで、ブログを始めたんだろうか、よくわからなくなりました。
しかし、君以外にも見てくれる人がいるらしいので、もう少し頑張ってみようかなあとおもいます。
さて、「四面楚歌(しめんそか)」について。
劉邦(りゅうほう)は、戦には負け続けながら、結局、ライバルの項羽(こうう)を追い詰める。
項羽は、その場に戦いには、とても強かったけれど、戦争とは、地理的な戦略、補給など、直接の戦闘以外の要素が大きな意味を持つ。
いかに、上手に人を動かし、味方につけるかということも大事だということは、先に話した、「匹夫の勇、婦人の仁」で語ったとおりだ。
まあ、このへんのところが、彼の認識が欠けていたようだ。
自分が強かったから、理解が及ばなかったのかもしれない。
部下を育てることができなかったので、直接、自分が、あちこちからわきあがる敵を叩きにまわって、その場では勝つのだけれど、結局、疲弊(ひへい)してしまうといったところかな。
追い詰められた項羽(こうう)は、補給を絶たれ、何重にも包囲された中で、自分の故郷であり本拠地である「楚(そ)」の国の歌が、包囲している敵の中から流れてくるのを聞いた。
それを聞いて、もう、自分の本拠地も敵の手に渡ってしまったと思った。
これは、包囲の陣を敷いていた韓信(かんしん)の策略だとか、項羽(こうう)の勝手な勘違いだとか、いろんな説がある。
四方から楚(そ)の歌が聞こえてくる。
もう味方はいない。
孤立して助けはない。
こういう状態をさして「四面楚歌(しめんそか)」と言われるようになった。
彼は、別れの宴を開く。
あくまで、自分が劣っているわけではなく、天が自分を滅ぼそうとしているのだという意味ともとれるような歌を歌っている。
彼は、最後の出撃に出る。
そして、壮絶な死をとげる。
天下は、劉邦(りゅうほう)のものとなる。
韓信(かんしん)はこの後どうなるか。
それは、また、語るとして、次回は、「四面楚歌(しめんそか)」で脱線する。
とにかく、忙しい。
体も調子が悪い。
今日はここまで。