とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

四面楚歌(しめんそか)〜2

11月10日   今日は、君にとって、大切な命が、突然、旅立ってしまったね。

どうも、悲しい別れが続きます。

君が、一番苦しんでいたときにやってきてくれて、色々な思い出を作って旅立っていった。

小さな命が、君に与えてくれた思いを、しっかりと受け止めて、前を向いて、生きていってほしい。

無理はしないで、できることはさぼらずに。

 

〜〜〜ここからは先に書いておいた下書きをそのまま投稿します

              書き出しが、偶然か、今日のこととリンクしているようにも思えます〜〜〜

 

とーとです。

 

大切な人が逝ってしまって、少し時間がたちました。

 

手続きも、仕事も忙しいです。ちょっときついです。

 

昔の話だけど、その人は、やはり、身内の人が亡くなった時に

「大変だけど、亡くなった人より生きてる人が一番大事

  無理して、生きてる人が苦しんだら、亡くなった人が悲しむ。

  無理はしないこと。

  なんとかなるから。」

そう言っていました。

 

私たちは、ついつい、逝ってしまった人が大切な存在であったら、大切であったほど、思い入れを強く持って、頑張りすぎたり、他人にも、少し無理な要求をしてしまったりするものです。

 

でも、今生きている、私たち。それを、大切にすることを教えるために、人は、その人生を見せ終えて、旅立って行くのかもしれません。

 

少しづつ、そんなことを、考え始めています。

 

さて、「四面楚歌(しめんそか)」

 

まわりが、全部敵!

孤立無援(こりつむえん)!

 

そういう時にこの言葉は使われる。

 

先に話したように、

まわりは全部敵なのはその通りだけど、その上、もう、自分の本拠地まで敵の手に落ちて、もう、味方が、やってくる見込みもない。

そう判断される状態なのだね。

 

お城にこもって、守りを固める。

これは、援軍をあてにしてのことなんだよね。

援軍のあてもないのに、城にこもっていては、結局、力つきるだけなんだよね。

 

本当に「項羽(こうう)」という人は、不器用な人だったと思う。

 

包囲している敵の中で、有利な条件で、裏切って味方になってれる相手を探すことも出来たかもしれない。まあ、そんな細工が出来たなら、こんな状態を招くこともなかったのだろうけれど。

 

こうなっってしまう前に、敵の謀略で、優秀な参謀に去られているし、才能のある優秀な人材が、相手に流れてしまっている。

一連の話の軸になっている「韓信(かんしん)」もその一人なんだよね。

 

武将として強い。戦えば勝った。これが、はかりごとなどの小細工をきらった感じがする。

単純に、他人より優れている。それだけではうまくいかない。

さまざまな才能が集まって、ひとつの事業ができてゆく。

小さい会社だって同じだ。

ひとつのことで、自分より劣ることがあっても、決してその人に、見下したような態度をとってはいけない。その人の、優れているところを見つけよう。

人の優れた面を見つけることも才能だね。

どんなにAIの技術が進んでも、この世は、人の結びつきでできている。

 

その人の「欲」が、なんなのか、それを推し量るのも、優れているところを探すのと同じくらい大切だ。

「欲」を醜いものだと思ってはいけない。

人は、欲によって、生きている。

金が欲しい。

ちやほやされたい。

認められたい。

権力がほしい。

モテたい。

愛されたい。

気持ちよく生きたい。

うまいもんが食いたい。

とにかく、みんな欲だ。

 

こんな欲を捨て去ろうと修行する人もいるけど、「欲を捨てたい」という欲のような気もする。

精進されている方には、大変失礼なことを言ってしまったけど、凡人の言い分なので気にせず修行を続けてください。

 

欲と言えば、昔の中国の人は、特に、後世に名を残すことに、憧れたようだ。

「名を竹帛に垂る(なをちくはくにたる)」という表現をする。

今で言えば、「教科書に名前がのるくらいのことをして死にたい」そんな感じかなあ。

 

とーとは、多分、名前も残らずに生涯を閉じるのだろうけど、このブログを始めて、少しだけ、君の中に、足跡を残せているのではないかな。

ささやかで、ちっぽけだけど、よしとしようか。

 

今日はここまで。