多多益辦(たたますますべんず)〜2
とーとです。
故人の霊前に、生前好きだったお寿司を供えました。
寿司といえば、「助六寿司(すけろくずし)」はどんなお寿司かわかるよね?
いなり寿司と、巻き寿司のセット。
なんで、「助六寿司」と呼ばれるか知ってるかな?
歌舞伎のひとつで、「助六」という人が主人公の演目がある。
その主人公の恋人が「揚巻(あげまき)」という名前。
名前の「揚(あげ)」が油揚げを使ったいなり寿司を指し、「巻(まき)」が、のり巻きを指すという説が有力なのだそうだ。
本当なら、「揚巻寿司(あげまきずし)」と呼びそうなのに、あえて主人公の「助六(すけろく)」の名前をつけるところに、洒落っ気があるよね。
日本人は、シャレが好きみたい。こういうのも「粋(いき)」のひとつなのかな。よくわからないけど。
そういえば、「へちま」の名前の由来を知ってる?
「ヘチマ」は最近見かけなくなった。
学校で栽培することがあるのかな?
漢字で書くと「糸瓜」。
その名のとおり、その実を水につけておいて、果肉を腐らせると、糸状の繊維が残る。
昔は、これで洗い物をしたりするのに重宝したそうだ。
たわしとスポンジの中間みたいな感じかな。
茎から水を取って、化粧水の代わりにもしていたそうだ。
「ヘチマ」はもともと漢字のとおり「糸瓜」だから「いとうり」と言っていた。
「いとうり」が言いにくかったらしく、いつしか「い」が省略されて「とうり」となった。
「と瓜(とうり)」である。
ここから、洒落っ気が出る。
「いろはにほへと」は言えるかな?
「いろはにほへとちりぬるを…」
さて、「と」はどこにあるかな?
「へ」と「ち」の間にあるよね。
「へ」と「ち」の間だから「へち間瓜(へちまうり)」と洒落てみたわけだね。
そのうちに、肝心の「瓜」が省略されて、「ヘチマ」になったそうな。
めでたし、めでたし。
余談が長引いた。
「多々ますます弁ず」について、話さないと、なんいもならないね。
多ければ多いほどよいとだれしも思う。
家来の数。
お金。
領地。
しかし、限界というものはある。
家来が多い王様が、結構孤独だったり。(意外と、自由でなかったりする話は聞くよね)
沢山の部下を掌握しきれず、手を焼いたり。(「昇進うつ」という病気もある)
お金があるなりに、心配事の種が増えたり。(身代金目当ての誘拐、強盗、泥棒、相続争いなど人間関係、近づいてくる人の下心とそれへの疑いなど、数えればきりがないね)
大きな国は、それなりに、小さな国にはない、問題を抱えている。
多ければ多いほどいい。
要は、その使い方なんだろうけど、コツがいるかもしれないね。
それよりも、「将の将」として、自分が直接指揮しなくても、優秀な部下をしっかり掌握できれば、それにこしたことはない。
ひとりでできることはしれている。
たくさんあれば、たくさんあるなりのやりかたがある。
相手を尊重し、分け与え、心を開いて人と接して行けば、いくらたくさんあっても、決して困ることはないというのが理想なんだけどね。
なにごとにも例外とういものはあるよ。
恋人、配偶者については、「多いほどいい」などとは、思っても絶対に言わないように!
まだ、たくさん持ったことがないから、自信を持っては言えないが、たくさんの方がいいなあ。
どこからか、「たくさん」が降ってきますように。
困ったらその時考えます。
今日はここまで。