矛盾(むじゅん)〜1
とーとです。
ものすごい力がほしいと思います。
なんでも願いがかなえられる、魔法が使えるようになりたいと思います。
みんなそう思ってるんじゃないかな。
思い通りにならないことが多すぎます。
ただ、お腹が減っているから、おにぎりがおいしいことも事実です。
つらいときにかけてもらった言葉が、うれしくて涙が出て、ずっと忘れられないものになったりもします。
ゲームだって、それなりの難しさがないとつまらないですよね。
「知足」(吾唯足知:われただたることをしる)
そんな言葉もあります。果てのない欲望を追いかけ続けて、残るのはむなしさだけだと言われます。
「欲を捨てろ」とさとされますが、なんだかそれもつまらないようにも思います。
なんだか、生きるということは矛盾(むじゅん)に満ちていますねえ。
というわけで、「矛盾」のはなし。
よく知られているように、武器を売る商人がいた。
「どんな盾(たて)でも突き通す矛(ほこ)はいらんかね!」
「どんな矛(ほこ)でもはじきかえす盾(たて)はいらんかね!」
それを聞いて見物人が
「その矛(ほこ)で、その盾(たて)を突いたらどうなるんだい?」
商人は答えに詰まった。
これから、ものごとのつじつまがあわないことを矛盾(むじゅん)と言うようになった。
とても有名な話だ。
これは、韓非子(かんぴし)という人が、古代の聖人をあがめる、「儒家(じゅか)」の思想を持つ人を批判して言った言葉だ。どうも、この、韓非子という人は「儒家(じゅか)」を目の敵にしている節がある。
昔の聖人で「尭(ぎょう)」と言う人が天下を治めていた。そのときの部下に「舜(しゅん)」という人がいた。「舜」は、あちこちにでかけていって、人々が争わなくなるようにした。こうして、この時代は、平和に人々が暮らせる時代になった。「尭(ぎょう)」も「舜(しゅん)」も大変すぐれた聖人だった。このような時代を理想にすべきだ。
というのが「儒家(じゅか)」の主張。
韓非子は、「尭(ぎょう)」という人が本当に聖人なら、「舜(しゅん)」があちこちかけまわらなくても、平和に国は治まっていたはずだ。「尭(ぎょう)」を聖人だというのはつじつまがあわない。と主張したのだ。
以上が「矛盾(むじゅん)」の解説だ。
ほんとこの世は矛盾だらけ。
何が正解かなんてわからない。
昔、友達が、
「真実はひとつ」
と、コナンくんみたいなことを言った。(名探偵コナンが連載されるずっと前の話)
とーとは、
「真実というのは、人の数だけあるんじゃないかなあ」
と、ぼんやり言った。
それを聞いていた、別の友人が、
「真実なんてあるもんか。全部うそっぱちだ」
と叫んだ。
みんな正解と言ったら、それこそ矛盾だな。
今日はここまで。