とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

矛盾(むじゅん)〜1

とーとです。

 

ものすごい力がほしいと思います。

なんでも願いがかなえられる、魔法が使えるようになりたいと思います。

みんなそう思ってるんじゃないかな。

 

思い通りにならないことが多すぎます。

 

ただ、お腹が減っているから、おにぎりがおいしいことも事実です。

つらいときにかけてもらった言葉が、うれしくて涙が出て、ずっと忘れられないものになったりもします。

ゲームだって、それなりの難しさがないとつまらないですよね。

 

「知足」(吾唯足知:われただたることをしる)

そんな言葉もあります。果てのない欲望を追いかけ続けて、残るのはむなしさだけだと言われます。

 

「欲を捨てろ」とさとされますが、なんだかそれもつまらないようにも思います。

 

なんだか、生きるということは矛盾(むじゅん)に満ちていますねえ。

 

 

というわけで、「矛盾」のはなし。

 

よく知られているように、武器を売る商人がいた。

「どんな盾(たて)でも突き通す矛(ほこ)はいらんかね!」

「どんな矛(ほこ)でもはじきかえす盾(たて)はいらんかね!」

 

それを聞いて見物人が

「その矛(ほこ)で、その盾(たて)を突いたらどうなるんだい?」

 

商人は答えに詰まった。

 

これから、ものごとのつじつまがあわないことを矛盾(むじゅん)と言うようになった。

とても有名な話だ。

 

これは、韓非子(かんぴし)という人が、古代の聖人をあがめる、「儒家(じゅか)」の思想を持つ人を批判して言った言葉だ。どうも、この、韓非子という人は「儒家(じゅか)」を目の敵にしている節がある。

 

昔の聖人で「尭(ぎょう)」と言う人が天下を治めていた。そのときの部下に「舜(しゅん)」という人がいた。「舜」は、あちこちにでかけていって、人々が争わなくなるようにした。こうして、この時代は、平和に人々が暮らせる時代になった。「尭(ぎょう)」も「舜(しゅん)」も大変すぐれた聖人だった。このような時代を理想にすべきだ。

というのが「儒家(じゅか)」の主張。

 

韓非子は、「尭(ぎょう)」という人が本当に聖人なら、「舜(しゅん)」があちこちかけまわらなくても、平和に国は治まっていたはずだ。「尭(ぎょう)」を聖人だというのはつじつまがあわない。と主張したのだ。

 

以上が「矛盾(むじゅん)」の解説だ。

 

ほんとこの世は矛盾だらけ。

何が正解かなんてわからない。

 

昔、友達が、

「真実はひとつ」

と、コナンくんみたいなことを言った。(名探偵コナンが連載されるずっと前の話)

 

とーとは、

「真実というのは、人の数だけあるんじゃないかなあ」

と、ぼんやり言った。

 

それを聞いていた、別の友人が、

「真実なんてあるもんか。全部うそっぱちだ」

と叫んだ。

 

みんな正解と言ったら、それこそ矛盾だな。

 

今日はここまで。