とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

快刀乱麻(かいとうらんま)〜1

とーとです。

 

あけましておめでとうございます。

 

などと始めましたが、実は、12月30日にこの原稿を書いてます。

 

雑誌の新年号は、12月の初めには店頭に並び、記事には「新春のごあいさつ」などのタイトルが書かれてますから、よしとしてください。

 

皆様の一部には、年賀状を「今年もよろしく」とか書いて、もうすでに、ポストに投函した方もいるんじゃないかな?

 

とにかく今現在、あわただしいです。

そして、新年もあわただしくなりそうです。

 

そういうわけで、元旦に、心落ち着けて、新たな気分で、キーボードの前に座り、

「さて、お題はなにからいこうか」

などと、ゆったりかまえていられないようです。

 

皆様も、年末年始と、お忙しく動かれて、ゆっくり休むどころではない方も多いでしょうね。

お仕事の方もいらっしゃると思います。

 

今は、一時、心を落ち着けて、新年の気分でメッセージを綴りたいと思います。

 

あらためまして、

あけましておめでとうございます。

ことしも、不定期に、おやじの「ぐだぐだ」を書きますので、よろしくお願いいたします。

 

お正月なので、明るい話題はないかと思いましたが、化石のようなギャグしか思い当たりません。

 

先代の 故 林家三平師匠のギャグ

「坊主が二人で歩いてて、オショウガツー」

すごく、くだらないでしょ?

でも、三平師匠がすごいのは、説明を省略して、インパクトを高めること。

普通は

「お坊さんが二人いるのはいつ? オショウガツー」

なのだけど、問いと答えという形式を度外視して、力技でもっていくもっていくのがすごいです。

そういえば、

「海に座布団が浮かんでて サブトン ザブトン」

というのもありましたね。

三平師匠がやったから、みんな笑ったのだと思います。

 

別の話

林家木久扇師匠の、お師匠さんにあたる「故 林家彦六 師匠」の逸話

彦六師匠は博識で有名だったそうです。

それで、噺家若い人たちが、お正月のお餅にカビが生えてしまう訳を尋ねにいきました。

「師匠 お餅には、どうしてカビが生えるんでしょうね?」

「そりゃー おめー 早く食わねえからだ!」

 

これを、木久扇師匠は今でも時々高座にかけているらしいのですが、彦六師匠の形態模写と相まって、おちが分かっていても、思わずわらってしまうそうです。

 

お笑いって、どんなふうに語っても笑えるというものではないですね。

相手がいて、その場空気を読みながら、間合いや言葉遣いを微妙に変化させてゆくのだと思います。

だから、テレビやラジオのお笑い番組でも、ただテレビカメラやマイクの前で話すのではなく、お客様の前で話したのを放送してますよね。

 

深くは知りませんが、「古典落語」などは、お客様のほとんどがスートーリがあらかじめわかっているのだと思います。

そんな環境で、落語家の方は、どういった工夫で、楽しんで、満足いただいていただけるのか日々研鑽されているだと思います。

奥が深いですね。

 

笑わせる側と、笑う側があって、初めてお笑いが成り立ちます。

「屁を放って 可笑しくもなし 独り者」

 

そろそろ「お題」に入る。

 

「快刀乱麻(かいとうらんま)」

「快刀乱麻を断つ(かいとうらんまをたつ)」の方が本当かな。

 

王様が、自分の息子たちの力量を試そうと思った。(後継者を誰にするかの判断材料という面があったと思う)

 

絡まった糸のかたまりを渡して、元に戻すように言った。

 

他の息子たちが苦労する中で、一人の息子だけは、刀を抜いてこれを切ってしまい、

「乱れたものは、斬らなくてはなりません」

と言った。

王様は、この答えに満足したそうだ。

そして、この息子が、のちに王位を継ぐことになる。

 

「快刀」とは、良く切れる刀のこと。

「乱麻」とは、もつれた麻糸のこと。

 

アレクダンダー大王の伝説にこれに似た話がある。

 

「ゴルディアスの結び目」というんだけど。

 

丈夫な紐で複雑に結ばれた轅(ながえ:牛車を引くための棒)があり、

「この結び目を解いたものは、このアジアの王になるであろう」と予言されていた。

これに挑んだ人たちは、あまりの複雑さに、誰も解くことはできなかった。

 

そこに、遠征にやってきた「アレクサンダー大王」は、

剣をぬいて、その紐を一刀両断して、結び目を解いて? しまった。

 

そういう話である。

 

なぜ、新年に、こんなお題を持ってきたかというと、前の年に起きた、いろんなしがらみや、なにやらを

ばっさりと断ち切って、新たな気持ちでスタートしたいと思ったから。

 

何回か言うけど、私たちは、日々新しい自分を生きている。

 

「今を生きる」

 

言葉では簡単だが、なかなか、連続した迷いや苦悩を断ち切れずに、引きずって生きている。

 

日々を生き切っていると、逆に、次の俳句のような境地に行き着くのかもしれない。

 

「去年今年 貫く 棒の如きもの」高浜虚子

連続性はあるけれど、潔くて、しがらみとかをずるずるとひきずるのとは、程遠い境地が、とーとには感じられる。

 

境遇や人間関係はやはり、連続しているけれど、毎日を精一杯いきて、毎日を新しい気持ちで迎えるようになりたいなあ。

 

気持ち新たに。

今年もじゃなく、今年をよろしくおねがいします。

 

今日はここまで。