とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

東奔西走(とうほんせいそう)〜2

とーとです。

 

お題を「東奔西走(とうほんせいそう)」にしたら、効果絶大!

ますます、忙しくなりました。

 

仕事も、一度に3つ以上のことが来ると、パニックを起こすので、大変です。

いまのところ、メモをしながら、笑顔を見せる余裕もなくやってます。

 

そんななか、先日、息子の学校の「学校祭」をのぞかせていただきました。

 

なにより、上級生、下級生の境がなく、みんな和気あいあいとやっているのがとてもよかった。

お客さんを楽しませること。自分も楽しむこと。この両方ができていた。

いい学校に入れたなあと、ちょっぴり羨ましく思いました。

 

6つの謎を解くゲームに参加させていただいたのですが、苦戦の連続。

子供たちが簡単に謎解きをしていくの尻目に、頭を抱えて長時間格闘しました。

自分の頭脳がいかに硬くなっているかを痛感しました。

知らぬ間に、固定観念にとらわれて、柔軟さを失っています。

歳のせいにはしたくないけど、もっと柔らかにならなくてはならないようです。

 

ただ、「自らの立ち位置をしっかりしておかないといけない」というところとの兼ね合いが難しいような感じもします。

この感じ、わかる人にしかわからないと思いますけど。

 

さて、お題のことも、少し話しておこうかな。

東奔西走(とうほんせいそう)

文字通り、あちこち駆け回ること。

いい意味でね(^^)

 

「虎は子供のために千里を走る」と言われているそうだ。

「虎の子」とは、とても大切なものを意味する。

 

親が子供を思う気持ちは何者にも代えがたい。

 

とーとも、才能ない中で、君のために走り回っている。

別に恩に着せてるわけではないよ。

親ならば当たり前のこと。

とーとだけでなく、どの親も同じだと思う。

 

情けなくても、コケながらも、走り回っている。

そういう姿を、反抗期、思春期になると

「みっともない」「うざい」

などと感じることもあるだろう。

それはそれでいい。

君の成長の証だ。

 

とにかく、とーとは、どんくさく、駆け回っている。

商才は全くないからね(笑)

「要領良く」なんて今更できない。

なるべく信頼に応えることをこころがけている。

うまくいかないこともある。それでも、「誠心誠意」ことに当たりたいと心がけてはいる。

まあ、それだけだ。というか、そんなものしかない。

 

今までは、「子孫のために、何を残せるか」

というのが主流だったけど、

このごろは、「重荷になるものを、残さないようにする」

ということを心がけている人も増えてきたように思う。

 

西郷隆盛は、

孫子のために美田を買わず」(だったかな?)

そんなことを言っていた。

財産は、あえて残さないという考えだったのだろう。

当時としては異色な考えだったので、伝えられてきたものだと思う。

ものではなく、「生き方」を残したのかもしれない。

 

財産として残されてきたものとはいろいろある。

「家」は、

住む人がなくなり(空き家になり)、老朽化して、周りに迷惑をかけないようにするには解体に大きな費用がかかる。

取り壊して空き地にしても、雑草などの管理も大変だ。

買い取ってくれる人でもいればいいけど、条件によっては、マイナスの財産になってしまう。

「田んぼ、畑」は、

耕作する人がいなくなり、「耕作放棄地」として、社会問題化している。

血縁の付き合いも、昔は助け合いの基本だったけど、

今では、「煩雑化すると大変だから」と、なるべく簡素化する方向にあるような気がする。

 

とーとも、なるべく、負の遺産を君に残したくない。

しかし、あまり思うようにはいかなくて、歯がゆい思いをしている。

 

生き方なんて、残せるような立派なものにはほど遠いしなあ‥。

 

かくして、ばたばたと駆け回っている。

君の未来が、出来る限り「自由」であるために。

力不足ですまんm(_ _)m

 

今日はここまで。

それにしても忙しい、

 

 

 

 

 

東奔西走(とうほんせいそう)〜1

とーとです。

 

目が回る忙しさに、お題を「東奔西走(とうほんせいそう)」にしました。

 

前回もお話しましたが、仕事だけではなく、いろいろな面で、あちこちかけまわっています。

そして、うっかり忘れます。

ミスが出ます。

ロスが出ます。

ますます忙しくなります。

 

早いもので、もうすぐ12月。師走(しわす)です。

お師匠さんも忙しくかけまわる季節らしいです。

 

お題の意味は説明しなくてもわかるでしょうねえ。

ただ、四字熟語ではあるけれど、古事成語ではないようですが‥。

 

 

さて、お題とは関係ない話をする。

 

君の学校を訪問させてもらったよね。

君は数名の仲間と、なにやら話し込んでいた。

楽しそうだった。

遠慮して、声をかけずに眺めていた。

うれしかった。

学校もいい雰囲気だし、なにより、君の居場所がここにあった。

 

とーとは心配性なので、あまりの雰囲気の良さに、ここを卒業して、実社会に出たとき大丈夫なのかと気がかりになってしまったほどだ。

 

とーとは、高校時代にあまり楽しい思い出はない。

 

勉強は、まあそこそこで、3年生の秋までは進学するための勉強をしていた。

地元の田舎の高校だった。

学校は荒れていたわけではないけれど、くだらないことてぐだぐだ揉めているように感じられて、居心地はあまりよくなかった。

やたら、上下関係はきびしかったね。

電車で通ったけど、乗る車両の位置が、学年ごとに暗黙で決められていたような幼稚なところがあったねえ。

まあ、荒っぽい奴はなるべく避けるようにして、おとなしく過ごしていた。

 

詩や随筆を書いたくらいで、思い切りなにかをした思い出もない。

 

先生に無理やり入れさせられた生徒会で、人の無責任さを味わった。

 

お前たちのために、好きでもないのにかけずり回ってる。

でもお前たちは、文句ばかりならべて、なにも協力しない。

動かない。知らんぷり。

周囲はそういう打算には長けていた奴らが多かったような気がする。

そうでないのもいたけどね。

 

多分、その頃から、心は病んでいたのだと思う。

 

同期の人に語らせたら、それなりに思い出深い高校時代だというのだろうなあ。

すべては、とーとの主観になるから、自分自身が悪いのだろうね。

 

ふさぎこむ日々が何日かあった。

 

まあ、とにかく、学校には真面目に3年間通った。

 

そして、家の事情で、進学をあきらめた。

 

入ったのは、地元の役所だった。

昔の時代なので、仕事は先輩の書類を見たり、ときに質問したりして覚えることになり、要領が悪いとーとは、ずいぶん苦労したよ。

仕事と、学校の授業とは180度くらいちがうから、面食らったよ。

今なら、新入社員の研修カリキュラムなんかがあるんだろうけど、そんなものはなかったからね。

社会のことがよくわからないままに社会人になっちまった。

 

当時、公務員は「公僕(こうぼく)」と呼ばれていたよ。

みんなの奴隷みたいなもんだ。

「みんなを助けられる」と自分を納得させて、就職したとーとは、たちまち、公務員パッシングという時代の嵐の中に放り込まれたのだよ。

 

もともと、本の中の世界が好きだったとーとは、現実世界の広がりとは無縁の中、社会人としての一歩を踏み出してしまった。

 

また、本の中に閉じこもっていたような気がする。

何を言われても、真面目に、一生懸命にはやってきた。

真剣に話を聞き、できるだけのことはしてきた。

でも、「無力だなあと」思っていた。

 

今でも後悔するのは、大きな人に出会えるチャンスを自分から作ってこなかったこと。

たくさんの人という意味ではない。

でも、大きな人と出会うには、多くの人との出会いが必要なのかもしれないけど。

 

友人と語らっている君を見て、とーととしては、とてもほっこりした気持ちになった。

世の中は、決して「クレーマー」ばかりじゃない。

だけど、仕事をするようになると、おのずと、お客様という存在ができてくるのよね。

 

「お客様は神様だろ!」

「神は死んだ」

ニーチェ先生より)

 

お客様を包み込むこような対応ができるのは、接客に長じたお母さんの長所なのだが、これは、どうも天性のもので、見習うとかそんなもんではないような気がする。

 

これから君は、いろんな人と出会い、いろんな影響を受けてゆく。

大きな人と出会って、大きな人になって欲しい。

ちっぽけなことは笑って蹴飛ばせるような人間になってほしい。

 

小さなことへの感謝と優しさとを忘れてはいけないんだけど。

矛盾してるかなあ。

 

親友と言えなくてもいい。

「仲間たち」の存在があれば、必ず蹴飛ばせるよ。

 

とーとの暗い高校、就職直後の時代の話をした。

また、折に触れて話の続きを語るのだろう。

そういう時代だったし、その時代にとーとはなじめなかったということなのだろう。

自分の若い頃を振り返って「いい時代だったなあ」という人が大半なんだろうし。

 

いい仲間がいる。

君はそういう高校時代がおくれているようで、何はともあれ一安心。

ここまで来るのに君が歩いてきた道に、敬意を表し、ここに表彰します。

 

とは言っても、いろいろあるだろうし、そうでないのも問題だろうしね。

 

これから先も、いろいろあるだろう。

なんとかなるさ。

明るく楽しく。

 

とーとの体験談は、病気との関係上、かなり暗めになってしまうが、反面教師としてほしい。

 

とーとの見たところ、君は、君たちのための時代に生まれてきたように見える。

 

いいことだ。

 

今日はここまで。

付和雷同(ふわらいどう)〜2

とーとです。

寒くなりました。

少しづつ食欲が戻って来ました。体脂肪をたくわえて、冬眠に備えようかと思います。

 

しかし、周囲で、ご逝去、入院、要精密検査など、いろいろと心配なことが続き、明日は我が身かなあと思ったりもします。

思いついて、「遺言状」を書いてみました。

父が逝った年齢に近づいてきました。

私の家系は代々短命です。

そのうえ、30代半ばから、神経の病気とたたかい続けています。

普通に?社会生活を送れてはいますが、かかってきるストレスは、通常の方よりもはるかに重く体を蝕んでいるのではないかと思ったりします。

また、薬の服用も長期にわたっていますから、その蓄積だってばかにはならないでしょう。

 

相変わらず、暗い出だしで、気分を害されたと思いますが、そんな覚悟で、毎日をすごうそうと思っています。

今までも精一杯でした。そして、これからも精一杯です。

 

ぶざまでも、なにも残せなくても、がんばって生きてきた姿を、息子をはじめ、周囲の方は、どのようにみてくれるのでしょうか。

他人の評価などを気にしても仕方ないですけどね。

 

今後も、投稿の間隔は空いてしまうと思いますが、少しずつ、私が病に至った経緯など、お話してゆこうと思います。

明るくない内容になるかと思いますが、

「自分はもっと大変なんだぞ」とか、

「がんばってるなあ」とか

いろいろ思ってくれたらいいなあと思います。

 

さて、お題について。

付和雷同(ふわらいどう)」

自分のしっかりした考えもなく、他人の意見にしたがってしまうことだよね。

 

良くないことだと思うのは簡単だけど、難しいよね。

自分ですべてを判断して生きて行けるかな?

 

「あの人の言うことだから大丈夫だ」

そういう価値判断が日常になっていないかな?

 

テレビなんかの解説者やコメンティーターの意見にあおられていないかな。

簡単にSNSの情報を、考えなく拡散させていないかな。

 

そういうなかで、いつも感心するのは、池上彰さんのスタイルだなあ。

選挙の特集で

「池上さんはどちらに投票されるんですか?」

という質問に、しっかり自分自身で考えて投票をするよう、たしなめた。

 

自分だけの見識ですべてのことを決められるわけではない。

ときに、様々な人の考えを聞いて判断することが必要になる。

でも、最後は、自分自身が決めること。

尊敬できる人の意見が常に正しいとは限らない。

それは、常に心しておかないと、大変なことになる。一種の洗脳になると危険だ。

 

人の意見は聞こう。

でも、流されないようにしようね。

 

実は、最近特に忙しい。

余裕がなくて、楽しいエピソードが挿入できない。

 

精一杯。

それでも余裕は必要だねえ。

 

この次以降がんばりますけど、どうなるかなあ???

今日はここまで。

 

 

付和雷同(ふわらいどう)~1

とーとです。

 

同年代の人と話をすると、あるていどの人生設計をたてて、それを修正しながら人生を歩まれてきた方も結構いらっしゃるようです。

もとより、計画通りにいく方より、そうでない方のほうが多いのだろうと思いますが、それでも、精いっぱい先をみて、そのとおりにはいかなくても、それなりにしっかり考えてやってきている。

行き当たりばったりの自分の無計画さに、情けなくなります。

そんなことで、また落ち込んでます。毎度のことですが。

 

がんばって働いているし、それなりに周囲に信頼されてもいるとは思うけど、なにせ、心の病気をわずらって、今もまだ寛解したわけでなく、クリニックへ定期的に通う日々なのですよ。

 

過去に公務員を退職して、今は民間の会社で楽しくやらせてもらってますが、心については、今だに戦いの日々と言っていいと思います。

わからない人のほうが多いとおもうけど、長くて苦しい戦いです。

私より、もっと大変な方も多いわけで、そんな方からは叱られると思いますが、苦しいものは苦しいのです。

 

過去に職場を変えたのが、志(こころざし)を持ったものではなく、病気によるものだったこともあり、生活は大きく変わりました。

人生設計なんてしてこなかったけど、この出来事は、人生のなかでの急カーブだったことは間違いありません。

正直、挫折感も味わいました。

おかげで、この歳になっても、この先どうなるんだろうか、綱渡りの日々です。

 

まあ、多かれ少なかれ、みんな、自分の中では、波乱に満ちた道を歩まれているのでしょうけど。

語りだしたら

「俺なんか(私なんか)、こんな目にあったのをくぐりぬけてきたんだぞ」

皆さんそうおっしゃるでしょうね。

 

一般論として、どんなにお金があっても(私のことではないです)、家族に恵まれていても(私のことですと言わないと問題が発生します)、社会的名声があっても、やってくる「老い」に対する不安は共通なのかもしれません。

 

あいかわらず、暗い展開になりました。

 

まあ、「明るく楽しく」も、こんなバックボーンから発せられてはいるのです。

 

 

さて、お題の「付和雷同(ふわらいどう)」について簡単にふれておく。

エピソードがあるわけではなく、書物のなかにある言葉だ。

 

「自分にしっかりとした考えがなく、すぐに他人の意見に賛成すること」

「雷同(らいどう)」とは、雷の大きな音に共鳴する様をいうのだそうだ。

 

このことは、現代の、情報にあふれている社会のなかで、けっこう危険な側面をついているようにも感じるね。

 

「雷同(雷同)」が過剰になり、「世論(よろん:世の中の意見の潮流)」を作り出す声が浅はかなものであったりする場合には、正論が遠ざけられ、個人が尊重されず、どんどん住みにくい世の中になってゆく心配がある。

その時の感情の発露の快感だけで、情報が発せられ、それが潮流になっていくことをとーとは恐れる。

今のところ、情報過剰な社会のなかにも、自浄作用が見て取れるのは救いだけど。

なんか、むずかしい言い方になっちゃったけど、だいたいの意味はわかってくれるよね?

 

世の中をどちらに進めてゆくのか、その意見集約は、これまで、どうやってきたのだろう。これからどうやって進められてゆくのだろう。

大きな声に流されて、自分を見失いようにしなくては。

これは、無関心にも通じることだと思う。

 

また、別の機会に、類語だけれど、「和して同ぜず:和而不同(わじふどう)」という故事成語を思いだした。これについても、後日書きたい。

 

さて、唐突だが、そろそろ初心に帰ろうか。

「明るく楽しく」

今日はここまで。

 

 

 

 

上善如水(じょうぜんみずのごとし)~2

とーとです。

 

夏風邪が回復してきたと思ったら、急に涼しくなってしまいました。

 

体力が回復せず、気合が入らず、仕事だけで精いっぱい。

 

上司には「これをやってみてくれ。ただし、楽しく!」などと、返答に困るようなリクエストをされて困惑する日々です。

職場でも、うつの症状は外に出てるんだろうなあ。

精いっぱいなんだけど。

断るのも面倒なので沈黙していたら諦めてくれました。

 

まあ、そんなこんなで、高齢者だらけの自治会の仕事やらも重なって、動きのとれない日々がついづいています。

 

ブログの投稿のできない、ただの言い訳です。

 

さて、お題について。

上善は水のごとし。

老子」という方の言葉だそうだ。

水はすべてのものに恵みを与えながらも、他と争わずに、入れ物によって形を変えて、自分は、一番低い位置にいる。

これが理想なのだそうですよ。

 

黒田官兵衛という、豊臣秀吉に仕えた人も、自分が謀反をおこすのではないかと疑われたと気づいたときに、「如水(じょすい)」と名前をかえて、天下取りに欲望のないことを示したのは有名な話だ。

 

流れる水は、ガツンとはぶつからない。

しかし、しだいに物を押し流し、形を変えてゆく。

水滴も、長い時間かけて、岩にも穴をあける。

 

やんわりと、ケンカしないで、自分の考えが理解され、世の中に影響をあたえていけたら理想だよね。

そして、トップには立たないどころか、一番低い位置にいる。

へりくだって、いばらない。

角を立てずに、相手を良い方向に導いてゆく。

 

自分の生きたいようにいきてゆくことを譲ってはいけないけれど、世の中どうしても相手があることが多い。

君が学んでいる、「他人の考えを否定しない」ということは、ある意味、水の理想に近いものがあるかもしれないね。

 

しかし、話はとぶけど、昨日來の雨で、また、水による被害が出てしまっているね。

「罪もない、頑張ってる人が、大変なめにあっているなんて、神様は本当にいるのかなあ」

そんな声も聞く。

 

「累卵の危」のときにも書いたけど、そんなときだからこそ、とーとは、神様か仏様か宇宙意思かわからないけど、そういうものがあると信じたいし、信じなきゃやっていかれない。

 

君は多分無神論者なんじゃないかな。それはそれでよいのだけれど。

 

とーとが、証拠もないのに、無神論者でないことは、もう少ししてから、考えを整理して語ろうと思う。

 

トルストイの「人はなんで生きるか」という本を、時間があったら読んでみるのもよいかもね。キリスト教の色合いが強くて、違和感を抱く人もいるとは思うけど。

 

即位礼正殿の儀の日にかかった虹のように、すべてに希望の光が届きますように。

 

次回もいつになるかわからない。

申し訳ないです。

今日はここまで。

 

 

 

 

 

上善如水(じょうぜんみずのごとし)〜1

とーとです。

 

1か月以上夏風邪に苦しめられていました。

微熱があるけど寝込むほどではない。

出勤するけど、体はだるい。

 

お医者さんには5回ほど通い、抗生剤も種類を変えて処方していただきましたが効果が出ない。

 

苦しまぎれに「プロポリス」を薬局で購入して飲んでみたら、回復してきました。

周りにその話をしたら、

「『プロポリス』が効いたんじゃなくて、治る時期だったんだよ!」

そう言われました。

 

体力は戻っていません。

体重が減りました。

このままだと、やってくる冬の寒さに耐えられないと焦っています。

これから、冬眠前の熊のように、食いだめして太ってやろうと思っています。

 

今回、あまり暗いお題はいやだなあと思い、「上善は水の如し(じょうぜんはみずのごとし)」選びまましたが、ここまで来て、台風で、大きな被害が出て、多くの犠牲となられた方がいらっしゃるということに思い当たりました。

台風19号は各地に大雨をもたらし、河川の氾濫で、家を押し流し、多くの人命を奪いました。

被害に遭われた方に、犠牲となられた方に、心からお見舞いを申し上げます。

 

「最もよいのは、水のようなものである」

そういうお題ですが、水は大きな力を持っています。

しかし、ないと困るのも「水」です。

水による災害で、被災地が「断水」で困っているのも事実です。

 

あくまでも、生きてゆく上での姿の例えとして、「水のごとくあるのがよい」ととらえてください。

 

説明は次回にします。

体力がまだないです。

 

説明後回しにしてなんだけど、さて、君はどう思う?

 

水のように争わない生き方

またの機会に「付和雷同(ふわらいどう)」についても語りたいけど。

 

とんがって生きてゆくのがかえって生きやすい世の中になっているような気もしている。

昔の日本は、強い自己主張は否定されたけど、今は、強烈なアピールが「クール」だったりするのだよね。

特に、グローバル化が進んで、文化、思想の違う人たちとコミュニケーションをとるには、しっかりとした意思を、はっきり表現しないとやってゆけない。

君たちの世代は、好むと好まざるとに関わらず、そういう時代に生きてゆかなくてはならない。

そんななかだからこそ、「相手の意見を否定しない」ことを、君は学んでいるよね。

いろんな見方があるということを学んでいるよね。

広い世界の探検をしているよね。

 

「話せばわかる」かどうかは別として、

「話してみなくては始まらない」のだと思う。

言葉が通じないのは論外だけど。

 

「多様性の尊重」の時代。どうなってゆくのか、とーとには想像がつかない。

などと、「ボーッと生きてる」宣言をしている場合ではないんだよね。

「しなければならないこと」責任最優先で、自分のことは後回しになっているけど、本当は、君と同じように、とーともいろんな可能性はあるんだよね。

頭ではわかっているのだけれど、いろいろあって、自分のことにチャレンジするのにまだ気力が湧かないのだよ。もっとわががまにいきてゆくとーとの姿を本当は君に見せたい。

もっと、かっこいいとーとの姿を見せたいけど、難しいなあ。

まあ、反面教師にしてくださいな。

 

ブランクがあるのと、体が戻らないのと、風邪の苦しさににまぎれて忘れられていた「うつ」が復活の兆しをみせているのとで、いままで書いてきたブログのなかでも一二を争う低レベルの内容にになってしまった。

忘れられないように投稿したということでは意味があったということにしよう。

 

まだ、次回の投稿はだいぶ先になりそうな気がしている。

 

今日はここまで。

累卵之危(るいらんのき)〜2

とーとです。

 

昨夜、YouTubeで聞いた話がよくなかった。

「マイナス思考を持っていると、潜在意識がマイナスの思考を持つようになるから、それが現実化してしまうよ」

これはまずい!

その改善策

・愚痴を言わないこと。

・悪口を言わないこと。

・他人の成功をねたまないこと。

・弱音を吐かないこと。

などなど。

 

でもねえ…。

そんな感情をため込んで、我慢しているのも苦しいんだよ。

聞く人が嫌な思いをするのもわかるんだけどね。

言わない方がいいのもわかるんだけどね。

 

この中で、可能なのは、

「他人の成功をねたまないこと」くらいかな。

これは、自己肯定の度合いが低いという意味で、逆に問題だよなあ。

 

そんなこんなで、夜は22時前に寝たんだけど、朝起きたのは9時過ぎだった。

「マイナスの言葉を発しないこと」

できるんだろうか?自問自答。

 

それで、ふらふら書店に行って、立ち読みした本には

「マイナスの感情は、出てきて当たり前。大切なのはためこまないこと」

「そういうものとして、客観的にうけとめてあげること」

そんなことが書かれていた。

 

いろんな人が、いろんなことを言っている。

 

そんなに簡単ではないのに、たやすく出来そうに言うんだけどね。

 

「幸せになりたい」

そんな誰にもある、当たり前の感情をどう現実にしてゆくか。

試行錯誤の日々は続く。

 

まだ出口は見えないのだが、あきらめないようにしよう。

なるべく「明るく楽しく」

 

さて、「累卵の危(るいらんのあやうき)」の脱線

 

日本は、昔、第2次世界大戦で負けた。

それを引きずって、アジアの諸国から、ことあるごとにさまざまな批判を受ける。

韓国との関係はこれまでにないほど悪化しているらしい。

「らしい」と書いたのは、報道の受け売りだから。実際、とーとだって、ずっと韓国と日本の関係を見続けてきたわけではないからね。

 

いまのところ、大きな戦争などに発展しないだろうとみんな思っているけど、

北朝鮮があって、中国があって、ロシアがある。アメリカがある。

 

それぞれの国が、「国益」のために動いている。

バランスが保たれなくなると、この先どうなるかわかんないんだよねえ。

軍事行動だけでなく、「国際世論」だって、政治的な働きかけでどんな風に動くのかわからない。

国家は、真剣に、その利益を追求するために、日々、汚いきれいなど関係なく、動き回っているはずだ。

 

韓国の人とも、中国の人とも、ロシアの人とも、個人間ではいいお友達になれると思う。

しかし、国家となると話は別になる。

 

利用できるものはなんでも利用する。

第2次世界大戦前までは、日本は、周辺の国を征服していった。

それは、征服された国には、大きな悲劇だったはずだ。

ただ、政治に利用する目的で、日本に対する反感をあおったり、教育してゆく行為もあるみたいだよね。

国家って悲しいものだとも思う。

 

すべて個人的な見解なので、異見があっても怒らないでほしいのだけれど。

 

集団は力だ。

しかし、集団は、それ自体が個人個人とは違う意思を持って動くものだ。

集団の利益になることは、「正義」だ。

 

会社だって、基本は「利益の追求」なんだから、国家のミニチュア版みたいなもんだよね。

ただ、最近は「コンプライアンス」なんていうのも大きく取り上げられてきているし、世間の反感を買うような行為はSNSなんかで拡散されて、すぐにお詫びの記者会見が開かれたりしてと、時代は変わってもいるのだろうね。

高度の情報化は、それはそれで恐ろしい、両派の剣であることを忘れてはいけないけれど。

情報に洗脳されたり、踊らされたりはしていないかい?

 

人は皆、幸せを望んでいる。

戦争なんて本当は望んでいないんだろうと思う。

ただ、思想や、宗教や、教育や、仲間ために、そういう方向へ走っていってしまうのだろう。

 

ウルトラマンに倒された怪獣は「悪者」なのだろうか。

地球侵略に来た宇宙人こそ、「人類は悪だ」などと主張したりはしないだろうか。

「正義」とは、そんなに薄っぺらいものなのだろうか。

 

今、世界は、「自分の国さえよければそれでよい」という風潮の中にある。

どこまで、この流れが続くのか、大きな目で見て、これが「幸せ」に近づくようには思えないんだけどね。

まさに、「累卵の危うき」にあるような気がする。

 

それでも、人は、学ぶことを知っているはず。

過去の多くの争いが、幸せなどもたらさなかったことを学べることを信じたい。

高め合うことはあっても、争い傷つけ合うことは、望んではいけないということも。

きれいごとなのかなあ。

 

君は今、学びの最中にいる。

なるべく広い視野を持って、あふれる情報に流されることのないようになってほしい。

なんか、今のところ、君の方が、とーとより視野が広いようにも思えたりするけれど。

 

早く風邪をなおしたいなあ。

早くネガティブから卒業したいなあ。

 

今、「累卵の危うき」世界のなかで、世の中が呼吸できているのは、神さま(仏様?:宇宙意思?)が絶対にいらっしゃるからだろう。

その存在は、きっと、君にも、とーとにも微笑みかけてくれるのだろう。

 

前に進もう。

 

今日はここまで。

次回はいつになるかわからないよ!