とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

上善如水(じょうぜんみずのごとし)~2

とーとです。

 

夏風邪が回復してきたと思ったら、急に涼しくなってしまいました。

 

体力が回復せず、気合が入らず、仕事だけで精いっぱい。

 

上司には「これをやってみてくれ。ただし、楽しく!」などと、返答に困るようなリクエストをされて困惑する日々です。

職場でも、うつの症状は外に出てるんだろうなあ。

精いっぱいなんだけど。

断るのも面倒なので沈黙していたら諦めてくれました。

 

まあ、そんなこんなで、高齢者だらけの自治会の仕事やらも重なって、動きのとれない日々がついづいています。

 

ブログの投稿のできない、ただの言い訳です。

 

さて、お題について。

上善は水のごとし。

老子」という方の言葉だそうだ。

水はすべてのものに恵みを与えながらも、他と争わずに、入れ物によって形を変えて、自分は、一番低い位置にいる。

これが理想なのだそうですよ。

 

黒田官兵衛という、豊臣秀吉に仕えた人も、自分が謀反をおこすのではないかと疑われたと気づいたときに、「如水(じょすい)」と名前をかえて、天下取りに欲望のないことを示したのは有名な話だ。

 

流れる水は、ガツンとはぶつからない。

しかし、しだいに物を押し流し、形を変えてゆく。

水滴も、長い時間かけて、岩にも穴をあける。

 

やんわりと、ケンカしないで、自分の考えが理解され、世の中に影響をあたえていけたら理想だよね。

そして、トップには立たないどころか、一番低い位置にいる。

へりくだって、いばらない。

角を立てずに、相手を良い方向に導いてゆく。

 

自分の生きたいようにいきてゆくことを譲ってはいけないけれど、世の中どうしても相手があることが多い。

君が学んでいる、「他人の考えを否定しない」ということは、ある意味、水の理想に近いものがあるかもしれないね。

 

しかし、話はとぶけど、昨日來の雨で、また、水による被害が出てしまっているね。

「罪もない、頑張ってる人が、大変なめにあっているなんて、神様は本当にいるのかなあ」

そんな声も聞く。

 

「累卵の危」のときにも書いたけど、そんなときだからこそ、とーとは、神様か仏様か宇宙意思かわからないけど、そういうものがあると信じたいし、信じなきゃやっていかれない。

 

君は多分無神論者なんじゃないかな。それはそれでよいのだけれど。

 

とーとが、証拠もないのに、無神論者でないことは、もう少ししてから、考えを整理して語ろうと思う。

 

トルストイの「人はなんで生きるか」という本を、時間があったら読んでみるのもよいかもね。キリスト教の色合いが強くて、違和感を抱く人もいるとは思うけど。

 

即位礼正殿の儀の日にかかった虹のように、すべてに希望の光が届きますように。

 

次回もいつになるかわからない。

申し訳ないです。

今日はここまで。