上善如水(じょうぜんみずのごとし)〜1
とーとです。
1か月以上夏風邪に苦しめられていました。
微熱があるけど寝込むほどではない。
出勤するけど、体はだるい。
お医者さんには5回ほど通い、抗生剤も種類を変えて処方していただきましたが効果が出ない。
苦しまぎれに「プロポリス」を薬局で購入して飲んでみたら、回復してきました。
周りにその話をしたら、
「『プロポリス』が効いたんじゃなくて、治る時期だったんだよ!」
そう言われました。
体力は戻っていません。
体重が減りました。
このままだと、やってくる冬の寒さに耐えられないと焦っています。
これから、冬眠前の熊のように、食いだめして太ってやろうと思っています。
今回、あまり暗いお題はいやだなあと思い、「上善は水の如し(じょうぜんはみずのごとし)」選びまましたが、ここまで来て、台風で、大きな被害が出て、多くの犠牲となられた方がいらっしゃるということに思い当たりました。
台風19号は各地に大雨をもたらし、河川の氾濫で、家を押し流し、多くの人命を奪いました。
被害に遭われた方に、犠牲となられた方に、心からお見舞いを申し上げます。
「最もよいのは、水のようなものである」
そういうお題ですが、水は大きな力を持っています。
しかし、ないと困るのも「水」です。
水による災害で、被災地が「断水」で困っているのも事実です。
あくまでも、生きてゆく上での姿の例えとして、「水のごとくあるのがよい」ととらえてください。
説明は次回にします。
体力がまだないです。
説明後回しにしてなんだけど、さて、君はどう思う?
水のように争わない生き方
またの機会に「付和雷同(ふわらいどう)」についても語りたいけど。
とんがって生きてゆくのがかえって生きやすい世の中になっているような気もしている。
昔の日本は、強い自己主張は否定されたけど、今は、強烈なアピールが「クール」だったりするのだよね。
特に、グローバル化が進んで、文化、思想の違う人たちとコミュニケーションをとるには、しっかりとした意思を、はっきり表現しないとやってゆけない。
君たちの世代は、好むと好まざるとに関わらず、そういう時代に生きてゆかなくてはならない。
そんななかだからこそ、「相手の意見を否定しない」ことを、君は学んでいるよね。
いろんな見方があるということを学んでいるよね。
広い世界の探検をしているよね。
「話せばわかる」かどうかは別として、
「話してみなくては始まらない」のだと思う。
言葉が通じないのは論外だけど。
「多様性の尊重」の時代。どうなってゆくのか、とーとには想像がつかない。
などと、「ボーッと生きてる」宣言をしている場合ではないんだよね。
「しなければならないこと」責任最優先で、自分のことは後回しになっているけど、本当は、君と同じように、とーともいろんな可能性はあるんだよね。
頭ではわかっているのだけれど、いろいろあって、自分のことにチャレンジするのにまだ気力が湧かないのだよ。もっとわががまにいきてゆくとーとの姿を本当は君に見せたい。
もっと、かっこいいとーとの姿を見せたいけど、難しいなあ。
まあ、反面教師にしてくださいな。
ブランクがあるのと、体が戻らないのと、風邪の苦しさににまぎれて忘れられていた「うつ」が復活の兆しをみせているのとで、いままで書いてきたブログのなかでも一二を争う低レベルの内容にになってしまった。
忘れられないように投稿したということでは意味があったということにしよう。
まだ、次回の投稿はだいぶ先になりそうな気がしている。
今日はここまで。