とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

漱石枕流(そうせきちんりゅう)〜1

とーとです。

 

忙しさに追われながら、下書きを書いてます。

 

韓信(かんしん)シリーズは前回で一区切りしました。

 

このところ、とても忙しく、ブログを書く時間がないです。

 

今までも、更新のペースが乱れがちでしたが、今後は、最低週1回は投稿するくらいのペースに落とします。

数少ない読者様、誠にすみません。

自分の健康を優先させていただきます。

写真も、イラストもなく、文字だけで綴るのもけっこうしんどいものがあり、自分でも、ここまで続いたのが不思議な気もしています。

 

君が毎回見てくれているのかわからないけど、このブログを始めて、自己満足でも、自分の存在が残せていることを幸せに感じています。

 

毎回、たわいのない、勝手なことばかりほざいていますが、以前紹介した「温故知新(おんこちしん)」の言葉のように、過去のブログなど読み返していただけると、誠にありがたいです。

 

ただ、言っとくけど、

まだまだ「故事成語」はたくさんあるぞ!

ネタが尽きたわけじゃないんだからね!

 

さて、そんなわけで、前回言った「改名」の話は都合で、この次にする。

 

今回のお題「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」は、夏目漱石(なつめそうせき)で有名だよね。

 

「石に口すすぎ、流れに枕す」と読めるかな。

 

この故事成語の意味は、「負け惜しみが強い。自分の誤りを認めない」ということ。

 

あるひとが、隠居しようとした。

その時に、友人に

「枕石漱水(川の流れで口をすすいで、石を枕に眠るような生活を送りたい)」

と言いたかったが、順番を間違えて、

「川を枕にして、石で口をすすぐ(ような生活がしたい)」

と言ってしまった。

 

友人がその間違いを指摘すると、

「石で口をすすぐのは、歯を磨くため。川を枕にするのは、耳を洗うためだ」

と言い張った。

 

自分の誤りを認めない。負け惜しみが強い。というのは、ここから来ている。

 

さて、「夏目漱石」だけど、「漱石」はペンネーム。

友人だった「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の俳句でもおなじみの「正岡子規(まさおかしき)」の数多いペンネームからもらったものだそうだ。

 

本名は「金之助(きんのすけ)」

なんでも、誕生日が、大泥棒になってしまうという迷信があった日で、そうならないように、名前に「金」の字を入れて満足させて、泥棒にならないようにしたという、おまじないからつけられたそうだ。

 

昔は、名前にも、いろいろな、魔除けのような意味ががあったそうだ。

男の子の死亡率が、女の子よりも高かったので、丈夫に育つように、男の子でも、女の子みたいな名前をつけて、死神の目をごまかそうとしたりもしたそうだ。

 

また、生まれた日によっては、一度子供を捨てて、拾ってから育てることで、幼くしての死を逃れようとする風習もあったようだ。捨てた形にして、家臣に拾わせるふりをしたりもしたようだ。

迷信でも、親は必死なのだ。

はっきり記憶はないが、「豊臣秀吉」の息子である「豊臣秀頼」の子供の時の名前が、確か「拾丸(ひろいまる)」だったような気がする。このことと関係あるかわからないけど。

記憶が乏しくて申し訳ない。興味があったら、また、調べてみてね。

 

昔、台湾の方と話をしたことがあるが、「五行(ごぎょう)」という思想があり、

この世界は「木、火、土、金、水」の5つの要素でできているという考えがあるそうだ。

生年月日で、その子供に欠けている要素をおぎなってあげるために、その要素の部首を持った字を名前に入れて、名付けをしたんだという。

その方は、結構お年を召した方だったので、今の台湾の名付け事情までは知らないけどね。

 

子供の名付けには、様々に、真剣な親の願いが込められているね。

 

名前の話に持って来るために、お題を「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」にした。

 

名前って、かなり面白いと思うとーとも、変わり者なのだろうなあ。

 

今日はここまで。

 

次回もあるからね!

見捨てないでね!