漱石枕流(そうせきちんりゅう)〜1
とーとです。
忙しさに追われながら、下書きを書いてます。
韓信(かんしん)シリーズは前回で一区切りしました。
このところ、とても忙しく、ブログを書く時間がないです。
今までも、更新のペースが乱れがちでしたが、今後は、最低週1回は投稿するくらいのペースに落とします。
数少ない読者様、誠にすみません。
自分の健康を優先させていただきます。
写真も、イラストもなく、文字だけで綴るのもけっこうしんどいものがあり、自分でも、ここまで続いたのが不思議な気もしています。
君が毎回見てくれているのかわからないけど、このブログを始めて、自己満足でも、自分の存在が残せていることを幸せに感じています。
毎回、たわいのない、勝手なことばかりほざいていますが、以前紹介した「温故知新(おんこちしん)」の言葉のように、過去のブログなど読み返していただけると、誠にありがたいです。
ただ、言っとくけど、
まだまだ「故事成語」はたくさんあるぞ!
ネタが尽きたわけじゃないんだからね!
さて、そんなわけで、前回言った「改名」の話は都合で、この次にする。
今回のお題「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」は、夏目漱石(なつめそうせき)で有名だよね。
「石に口すすぎ、流れに枕す」と読めるかな。
この故事成語の意味は、「負け惜しみが強い。自分の誤りを認めない」ということ。
あるひとが、隠居しようとした。
その時に、友人に
「枕石漱水(川の流れで口をすすいで、石を枕に眠るような生活を送りたい)」
と言いたかったが、順番を間違えて、
「川を枕にして、石で口をすすぐ(ような生活がしたい)」
と言ってしまった。
友人がその間違いを指摘すると、
「石で口をすすぐのは、歯を磨くため。川を枕にするのは、耳を洗うためだ」
と言い張った。
自分の誤りを認めない。負け惜しみが強い。というのは、ここから来ている。
友人だった「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の俳句でもおなじみの「正岡子規(まさおかしき)」の数多いペンネームからもらったものだそうだ。
本名は「金之助(きんのすけ)」
なんでも、誕生日が、大泥棒になってしまうという迷信があった日で、そうならないように、名前に「金」の字を入れて満足させて、泥棒にならないようにしたという、おまじないからつけられたそうだ。
昔は、名前にも、いろいろな、魔除けのような意味ががあったそうだ。
男の子の死亡率が、女の子よりも高かったので、丈夫に育つように、男の子でも、女の子みたいな名前をつけて、死神の目をごまかそうとしたりもしたそうだ。
また、生まれた日によっては、一度子供を捨てて、拾ってから育てることで、幼くしての死を逃れようとする風習もあったようだ。捨てた形にして、家臣に拾わせるふりをしたりもしたようだ。
迷信でも、親は必死なのだ。
はっきり記憶はないが、「豊臣秀吉」の息子である「豊臣秀頼」の子供の時の名前が、確か「拾丸(ひろいまる)」だったような気がする。このことと関係あるかわからないけど。
記憶が乏しくて申し訳ない。興味があったら、また、調べてみてね。
昔、台湾の方と話をしたことがあるが、「五行(ごぎょう)」という思想があり、
この世界は「木、火、土、金、水」の5つの要素でできているという考えがあるそうだ。
生年月日で、その子供に欠けている要素をおぎなってあげるために、その要素の部首を持った字を名前に入れて、名付けをしたんだという。
その方は、結構お年を召した方だったので、今の台湾の名付け事情までは知らないけどね。
子供の名付けには、様々に、真剣な親の願いが込められているね。
名前の話に持って来るために、お題を「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」にした。
名前って、かなり面白いと思うとーとも、変わり者なのだろうなあ。
今日はここまで。
次回もあるからね!
見捨てないでね!