愚公移山(ぐこういざん)〜1
とーとです。アクセスのすくないブログを続けております。
今回の故事成語は
「ぐこう やまを うつす」
であります。
愚公(ぐこう)というのは、おじいさんの名前。「おろか」いう字が入っていることから、実名ではなく、敬意を込めて、愚かに見える人というような感じでつけられたのではないかと思う。
2つの山の北側に、おじいさんが住んでいた。南へ行くのにこの山が邪魔で、遠回りしなくてはならないので、家族総出で山を崩し始めた。今のように機械があるわけではなく、すべて手作業で、くずした土は遠くの海まで捨てに行くというあまりに遠大な計画だった。
奥さんは反対したとも伝えられる。夢想的な夫と、現実の暮らしを考える妻。昔よくあった取り合わせのような感じがするね。
とにかく、家族で作業を始めた。
分別ある人がこれをいさめた。
「大きな山を人力で崩すなど不可能だ。特にあなたは高齢だ。続けていても、あなたが先に死んでしまうだろう。できないことは、しない方がいい。」
それを聞いて、おじいさんは、
「自分が死んでも子供が、子供が死んでもそのまた子供が後を引き継いでいけば、いつか必ず山を崩すことができるはずだ」
そう言って、作業をやめなかった。
山の神様はこの話を聞いて、これは、本当にいずれ山を崩されてしまうと心配して、神様の中で一番偉い、天の神さまに「なんとかしてください」と助けを求めた。
天の神様はこれを聞いて、おじいさんの心がけに感心し、山を別の場所に移動させたのだという。
めでたし、めでたし。
なんと、解説が難しい故事成語だろうかと、とーとは思ってしまう。
このおじいさんが、必ずしも賢い選択をしているとは思えないからだ。
信念が神様をも動かす。なんか、現代的ではないよね。神様が助けてくれなかったら、事業は成功していたのかどうか少しおぼつかない感じもある。
でも、偉いなあとおもうのは、
神様の助け(他人の助力)をあてにせず、自分たちの力で事業を行おうとしたこと。
信念がぶれなかったこと。
なんてことはない、短いストーリーだが、ともすれば、意固地であるよりも、柔軟な対応が成功への道だと考えがちな私たちに、別の視点を与えるきっかけとなる。
それゆえに、迷ってしまう。
うーん。とーともまた、迷える人なのである。
というわけで、続きは次回。
本日はこれまで。