付和雷同(ふわらいどう)〜2
とーとです。
寒くなりました。
少しづつ食欲が戻って来ました。体脂肪をたくわえて、冬眠に備えようかと思います。
しかし、周囲で、ご逝去、入院、要精密検査など、いろいろと心配なことが続き、明日は我が身かなあと思ったりもします。
思いついて、「遺言状」を書いてみました。
父が逝った年齢に近づいてきました。
私の家系は代々短命です。
そのうえ、30代半ばから、神経の病気とたたかい続けています。
普通に?社会生活を送れてはいますが、かかってきるストレスは、通常の方よりもはるかに重く体を蝕んでいるのではないかと思ったりします。
また、薬の服用も長期にわたっていますから、その蓄積だってばかにはならないでしょう。
相変わらず、暗い出だしで、気分を害されたと思いますが、そんな覚悟で、毎日をすごうそうと思っています。
今までも精一杯でした。そして、これからも精一杯です。
ぶざまでも、なにも残せなくても、がんばって生きてきた姿を、息子をはじめ、周囲の方は、どのようにみてくれるのでしょうか。
他人の評価などを気にしても仕方ないですけどね。
今後も、投稿の間隔は空いてしまうと思いますが、少しずつ、私が病に至った経緯など、お話してゆこうと思います。
明るくない内容になるかと思いますが、
「自分はもっと大変なんだぞ」とか、
「がんばってるなあ」とか
いろいろ思ってくれたらいいなあと思います。
さて、お題について。
「付和雷同(ふわらいどう)」
自分のしっかりした考えもなく、他人の意見にしたがってしまうことだよね。
良くないことだと思うのは簡単だけど、難しいよね。
自分ですべてを判断して生きて行けるかな?
「あの人の言うことだから大丈夫だ」
そういう価値判断が日常になっていないかな?
テレビなんかの解説者やコメンティーターの意見にあおられていないかな。
簡単にSNSの情報を、考えなく拡散させていないかな。
そういうなかで、いつも感心するのは、池上彰さんのスタイルだなあ。
選挙の特集で
「池上さんはどちらに投票されるんですか?」
という質問に、しっかり自分自身で考えて投票をするよう、たしなめた。
自分だけの見識ですべてのことを決められるわけではない。
ときに、様々な人の考えを聞いて判断することが必要になる。
でも、最後は、自分自身が決めること。
尊敬できる人の意見が常に正しいとは限らない。
それは、常に心しておかないと、大変なことになる。一種の洗脳になると危険だ。
人の意見は聞こう。
でも、流されないようにしようね。
実は、最近特に忙しい。
余裕がなくて、楽しいエピソードが挿入できない。
精一杯。
それでも余裕は必要だねえ。
この次以降がんばりますけど、どうなるかなあ???
今日はここまで。