木鶏(もっけい)〜1
とーとです。
この季節は、どうも心の病にはよくないようです。
寒いです。なにもしたくないです。ゆううつです。
自分一人だけが、取り越し苦労の心配をしているようで、なにをするのもばかばかしくなります。
頭が重いです。ぼんやりしているので、何のために今立ち上がったのか忘れたりします。
そういうわけで、家電の電源を切ったのか何度も確認しています。
落ち込んで、自分の過去のことを振り返ったりすると、30年近く前に、亡くなった父(君のおじいさん)のことを、思い出したりします。
建築関係の職人で、まわりが、食事の塩分の取りすぎを心配すると、
「体に気をつけてまずい食事をとって長生きするくらいなら、好きなものを食べて、短命に終わったほうがましだ」と言い張り、結果、60歳を待たずに人生を閉じました。
君の顔を見ずに逝ってしまったことが、なにより残念だと、ときおり思います。
とーとは、君の子供の顔を見てから旅立てるのかなあ。できたらうれしいけど、こればっかりは、なりゆきですね。
父(君の祖父)は、チャボという、小型の鶏を飼うのが趣味でした。
小型の鶏でも、特に雄は闘争心はあり、目の前に鏡を置くと、威嚇し、鏡に映った自分の姿を攻撃するのを、子供心に、興味深く見ていたのを思い出します。
そういえば、恐竜は、絶滅したのではなく、鳥に進化していったのだという説を聞いたことがありますね。
さて、本題の「木鶏(もっけい)」について。
「闘鶏(とうけい)」というものがある。
鶏を戦わせて、勝負を競うものだ。
賭け事の対象になったりしている。
王様が、「闘鶏(とうけい)」の鶏を育てる名人に、強い鶏に仕込んでもらうように、自分の鶏をあずけた。
10日ほどして、王様が名人に、仕上がり具合をたずねると、
「まだ、空威張りして、闘争心があるから、いけません」
と名人は答えた。
また10日ほどして、また王様が仕上がり具合をたずねると、
「まだいけません。他の鶏の声を聞いたり、姿を見ただけでいきりたってしまいます」
と名人は答えた。
さらに10日ほどして、王様が、名人にたずねると、
「目を怒らせて、己の強さを誇っているから話になりません」
と答えた。
またまた10日ほどして、王様がたずねると、
「もういいでしょう。他の鶏が鳴いても、まるで相手にしません。木でできた鶏のように、泰然自若(たいぜんじじゃく)としています。この徳の前に、かなう鶏はいないでしょう」
と答えた。
この話は、日本の格闘家の人が、行き着く境地として、よく使われたようだ。
相撲の世界で連勝が止まった横綱が、「ワレマイマダモッケイタリエズ(我未だ、木鶏たりえず)」と電報を打った話などが有名らしい。
道をつきつめたひとが、行き着く境地で、とーとなどは、ほんとに縁のない世界だなあと思う。
今日はここまで。