白馬非馬(はくばひば)〜1
とーとです。
どうも、頭の回転が落ちてます。
立ち上がって、何のために立ち上がったか思い出せなかったりしてます。
自分で少しこわいので、何度も火の元と戸締りの確認をしています。
年齢によるものなのかなあ。
うつ状態のときは、本当に頭が回らなくなるから、軽くそんな状態なのかもしれません。
そういえば、最近魚をあまり食べないから、DHAとやらいうものが足りないのかもしれない。サバ缶買ってきて食べようかなあ。
とにかく、すっきりと晴れわたる思考回路になりたいなあ。
さて、お題の「白馬非馬(はくばひば)」
「白い馬は馬ではない」
なんのこっちゃ?
解説によると
「白い」という色
「馬」という形
これが組み合わさって「白馬」になる。
「白馬」とは色と形とが組み合わさってできたものだから、形という一つの視点でとらえた「馬」とは別物だ。だから「白い馬は馬ではない」のだそうだ。
まったくわけがわからない。
本当に、数少ない訪問者の方で、この理論をうまく説明できる方はいないだろうか?
今のポンコツ頭では当然だし、そうでなくても歯が立たない。
助けてくれー!
この話は、中国の昔の思想家のうち「名家」と呼ばれる人たちの主張だったらしい。
この論法で、多くの人たちを論破したそうだが、結局、詭弁(きべん)のたぐいとされていってしまった。
関所を通る時に、当時は馬に税金がかかった。
関所の役人に、「白い馬は馬ではないから税金は払わない」
そう主張したが、役人は学者ではないから、はなから議論などする余地もなく、とうとう税金を支払うはめになってしまったという。
なぜ、この言葉が思いついたかというと、前回話した、「群盲評象(ぐんもうぞうをひょうす)」から、何か似ているように思えたから。
しかし、どうも漠然(ばくぜん)とした感じで、なんか理解したような気がしたのだけれど、やはり理解できない????
お題のチョイスまで、頭の混乱が影響したか(^_^;)
分解して行くと本質から、逆に遠ざかってしまう。
「白馬」を「白」と「馬」に分解すると、「白馬」から遠ざかってしまう。
前に「群盲評象」で述べたけど、何人もの目の見えない人の意見をくっつけても、象にはならない。
そういうことの反対側を言っていることなのかもしれない。
白と馬をくっつけても、白い馬にはならないのだろうね。
結局、屁理屈で、役に立たない、いくら、相手を議論で言い負かしても、なんの得にもならないということで、強い批判をあびたらしい。
確かに、実際の役にはまったく立たないように思う。
役に立たないことが、悪いことだろうか?
もしかしたら、この、役に立たないと批判された理論で、新しい世界が開けることもないとはいえない昨今のような気がしてならない。
少なくとも、発想の転換についてのきっかけになるのではないか。
たまには、無駄と思われることも、やってみたほうがいいのかもしれない。
いくらAIの発達がすごくても、完全に人間の代わりをすることはできない。と思う。
多分、AIは、「無駄」「無意味」なことはできないだろうと思うんだがどうだろうか?
そういえば、このブログ自体が「大いなる無駄」の世界かもしれない。
卑下(ひげ)していっているのではなく、少し威張った気持ちで言ってみた。
無駄な文を連ねて、とーとはどこへ行くのだろう。
今日はここまで。