とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

轉禍為福~3(近況報告)

とーとです。

 

遠距離通勤も長期にわたると、だいぶ疲れが出てきました。

新型コロナウィルスの影響で、戦場のような忙しさになっている方も、家での重苦しい生活に耐えている方もいらっしゃると思います。

私は首都圏には居住していないので、まだ、大きな波をかぶってはいませんが、街全体が重苦しい空気の中にいるようで、空が晴れていても、花が咲いていても、花が散っても、木々が芽吹いても、こころに響いてはこない感じです。

合間を見ては、下書きを書くのですが、日々、状況が目まぐるしく変わり、一度綴ったものを消しては、書き直しているうちに、リリースのタイミングをひきずってしまいました。

 

ここのところ、故事成語の由来や解説から少し離れて、不定期に投稿しています。

これも、息子に伝えておこうとおもうことのひとつですので、ご容赦ください。

 

さて、

前回、「給付をもらえるなら、均一にしたほうがいいなあ」などとほざいたら、現実化してきたなあ。10万円一律給付が実現したね。

とーとの考えとは論点が違って、「あまり複雑にしない」という方に重点が置かれたみたいだね。

相変わらず、低所得者への対応という意識は根強いようで、上級国民は辞退しろとか、寄付しろとか、なにが公平かはっきりしない中での、議論は出ているようだけど…。

特にひどいのは、公務員はコロナの影響で失業することはないのだから、支給すべきでないとか、全員寄付しろとかいう意見。

コロナの影響を受けずに仕事している人は公務員以外にもたくさんいるのにね。

へとへとになって働いてくれている医療従事者の一部の方や、保健所の方などは公務員だよ。

 

以前、役所にいた時から感じていたのは

「公務員は豊かになってはいけない」

という世間の目。

もしも、豪邸に住んで、高級車を乗り回している公務員がいたら、賄賂か横領かなにか不正をしていると疑われるだろう。

不正な方法でなくても、豊かになっていけないし、副業も禁止して、豊かにはなれないような仕組みにもしているからなあ。

 

「安定しているから」とねたみをずいぶん言われたが、

「そういう自分自身かなぜ公務員にならなかったのか、それがだめなら、なぜ、自分の身内を公務員にしなかったのか」と問いたいのを、喉元でなんども抑え込んで30年役人をしていたなあ。

 

「『清く貧しく』あって、人を救い、報われないこと」が理想の公務員とされていた時代をとーとは過ごしてきた。だから、いまだにお金の儲け方を知らない。

そんなわけで、君にもお母さんにも迷惑をかけている。

本当に、選ぶ職業を誤った。

いまさらとりかえしがつかないから、「死は無」ではなて「生まれ変わり」があると信じようとしているんだけど。

 

とにかく、一律に給付されるということの意味をよくかみしめて判断してほしい。

他人にどうするべきかを押し付けるべきではない。

もらったお金を使うことで経済を活性化させることも立派な社会還元だという意見もあっていいんじゃないか。

 

今、政治(行政)が、経済対策をおこない、給付、助成、融資などの対策を打ち出している

 

今回、「休んでやるから、休業を補償しろ」といった感じの姿勢の事業者の方が一部いらっしゃったように思う。

当然、仕事には生きてゆく上での生活がかかってる。

経営している人は、自分のことを差し置いても、従業員のことも責任がある。

だから、無理もないかもしれないけど、感染を助長する行為は「人の生き死にがかかっている」ことだという面を考えると、あくまでも傍観者としてだが、違和感を覚えてしまった。

特に飲食業の方

「食べ物を扱うということは、命をいただくものを扱うと同時に、それを食べる人の命もあずかってる」

そんな矜持のある話がとーとには聞こえてこなかった。残念だ。

 

お客様の生命が第一優先。

その後に堂々と補償を求める。

これが正論だと思うけど、商売ってそんなに甘いもんじゃあないんだろうね。 

こんなことを言っているから、とーとは「商才がない」と君に言われるのだろうなあ。

 

補償の話になったけど、政治が経済支援策を出しているのは、単純に、困っている人を助けるためととらえないほうがいいと思う。

新型コロナウィルスの蔓延という状況でないときに、運悪く経済的に困窮してしまう人がいても、政治はその人を積極的に救おうとはしない。

今、様々な経済的な政策を打ち出しているのは、大量の企業倒産と失業者の発生により、国全体の経済が立ちいかなくなると困るからだ。

困ったら政治や行政がなんとかしてくれるなどと考えている人は、もう少ないと思うけど、やはり役人時代に、何人も困っている人をみて、なんにも力になれなかったことを思い出す。

まあ、国の経済がたちゆかなくなれば、すべての人が困ってしまうわけだし、先行きの経済事情しだいでは、肺炎で亡くなる方よりも、困窮して自殺してしまう方の数のほうが多くなってしまうという話もある。そういう意味では救済なんだけど、血の通った、人に寄り添うような行政というのは とーと の経験では幻だった。

 

 でも、時代は大きく変わってきているのを感じる。

国が緊急事態宣言を出してから、各都道府県単位での判断が求められるようになってきた。

それぞれの状況の違う地域での、行政の力と知恵が試されているともいえる。

失礼ながら、今まで、国が決めたことに乗っかって、上手にやることで、なんとなくやってきた地域もあるんじゃないかと思う。

それが、地域の人命と経済を守るという極めて難しい判断を、自らの責任でやらなくてはならない時代がやってきた。

国としては、地方があまり強い権限を持ってしまうのはやりにくいこともあるだろうから、今の事態を完全には歓迎していないのかもしれないけど。

とにかく、住民により近い存在が、もっと大きな声を出すことができるようになることが、役人時代のとーとの願いだった。それが、血の通った行政への道だろうと、分不相応なことを考えていた時代もあった。

ある意味、今回チャンスでもあるのかもしれない。

当然、国と地方は協力関係であって、対立関係ではないけれど、立場が違うんだから、様々な方面で、今まで以上の活発な議論が行われるようになればいいなあ。

 

長くなったが、最後に

国際間では、こんな中でも、覇権の拡大に向けた動き、責任をなすりあう動きがみられている。本来、人類全体の危機の中で、損得などほったらかして助け合わなくtれはならない状態だし、国際間の協調が進むチャンスでもあったわけだが、様々な思惑が垣間見えていると感じるのはとーとだけではないと思う。「甘い」のだろうか?

 

「ウィルスを撲滅」から、「ウィルスと共存」にと認識の変わっている中、生活の変化だけでなく、意識の持ち様も変わってゆくのだろうなあ。

変わらなくてはいけないのだと思うよ。

 

大きな社会の中では、「災いy転じて福となす」その機会がみえてきたなと 思えるこのごろである。

 

お母さんが倒れてたいへんなことになった上に、新型コロナウィルスの蔓延で気が抜けない状況にある とーと 個人も、「災い転じて福となす」チャンスの芽をしっかりつかまえられるようにしてゆかねば。

 

君がいてよかった。

 

今日はここまで。