轉禍為福~3(近況報告)
とーとです。
遠距離通勤も長期にわたると、だいぶ疲れが出てきました。
新型コロナウィルスの影響で、戦場のような忙しさになっている方も、家での重苦しい生活に耐えている方もいらっしゃると思います。
私は首都圏には居住していないので、まだ、大きな波をかぶってはいませんが、街全体が重苦しい空気の中にいるようで、空が晴れていても、花が咲いていても、花が散っても、木々が芽吹いても、こころに響いてはこない感じです。
合間を見ては、下書きを書くのですが、日々、状況が目まぐるしく変わり、一度綴ったものを消しては、書き直しているうちに、リリースのタイミングをひきずってしまいました。
ここのところ、故事成語の由来や解説から少し離れて、不定期に投稿しています。
これも、息子に伝えておこうとおもうことのひとつですので、ご容赦ください。
さて、
前回、「給付をもらえるなら、均一にしたほうがいいなあ」などとほざいたら、現実化してきたなあ。10万円一律給付が実現したね。
とーとの考えとは論点が違って、「あまり複雑にしない」という方に重点が置かれたみたいだね。
相変わらず、低所得者への対応という意識は根強いようで、上級国民は辞退しろとか、寄付しろとか、なにが公平かはっきりしない中での、議論は出ているようだけど…。
特にひどいのは、公務員はコロナの影響で失業することはないのだから、支給すべきでないとか、全員寄付しろとかいう意見。
コロナの影響を受けずに仕事している人は公務員以外にもたくさんいるのにね。
へとへとになって働いてくれている医療従事者の一部の方や、保健所の方などは公務員だよ。
以前、役所にいた時から感じていたのは
「公務員は豊かになってはいけない」
という世間の目。
もしも、豪邸に住んで、高級車を乗り回している公務員がいたら、賄賂か横領かなにか不正をしていると疑われるだろう。
不正な方法でなくても、豊かになっていけないし、副業も禁止して、豊かにはなれないような仕組みにもしているからなあ。
「安定しているから」とねたみをずいぶん言われたが、
「そういう自分自身かなぜ公務員にならなかったのか、それがだめなら、なぜ、自分の身内を公務員にしなかったのか」と問いたいのを、喉元でなんども抑え込んで30年役人をしていたなあ。
「『清く貧しく』あって、人を救い、報われないこと」が理想の公務員とされていた時代をとーとは過ごしてきた。だから、いまだにお金の儲け方を知らない。
そんなわけで、君にもお母さんにも迷惑をかけている。
本当に、選ぶ職業を誤った。
いまさらとりかえしがつかないから、「死は無」ではなて「生まれ変わり」があると信じようとしているんだけど。
とにかく、一律に給付されるということの意味をよくかみしめて判断してほしい。
他人にどうするべきかを押し付けるべきではない。
もらったお金を使うことで経済を活性化させることも立派な社会還元だという意見もあっていいんじゃないか。
今、政治(行政)が、経済対策をおこない、給付、助成、融資などの対策を打ち出している
今回、「休んでやるから、休業を補償しろ」といった感じの姿勢の事業者の方が一部いらっしゃったように思う。
当然、仕事には生きてゆく上での生活がかかってる。
経営している人は、自分のことを差し置いても、従業員のことも責任がある。
だから、無理もないかもしれないけど、感染を助長する行為は「人の生き死にがかかっている」ことだという面を考えると、あくまでも傍観者としてだが、違和感を覚えてしまった。
特に飲食業の方
「食べ物を扱うということは、命をいただくものを扱うと同時に、それを食べる人の命もあずかってる」
そんな矜持のある話がとーとには聞こえてこなかった。残念だ。
お客様の生命が第一優先。
その後に堂々と補償を求める。
これが正論だと思うけど、商売ってそんなに甘いもんじゃあないんだろうね。
こんなことを言っているから、とーとは「商才がない」と君に言われるのだろうなあ。
補償の話になったけど、政治が経済支援策を出しているのは、単純に、困っている人を助けるためととらえないほうがいいと思う。
新型コロナウィルスの蔓延という状況でないときに、運悪く経済的に困窮してしまう人がいても、政治はその人を積極的に救おうとはしない。
今、様々な経済的な政策を打ち出しているのは、大量の企業倒産と失業者の発生により、国全体の経済が立ちいかなくなると困るからだ。
困ったら政治や行政がなんとかしてくれるなどと考えている人は、もう少ないと思うけど、やはり役人時代に、何人も困っている人をみて、なんにも力になれなかったことを思い出す。
まあ、国の経済がたちゆかなくなれば、すべての人が困ってしまうわけだし、先行きの経済事情しだいでは、肺炎で亡くなる方よりも、困窮して自殺してしまう方の数のほうが多くなってしまうという話もある。そういう意味では救済なんだけど、血の通った、人に寄り添うような行政というのは とーと の経験では幻だった。
でも、時代は大きく変わってきているのを感じる。
国が緊急事態宣言を出してから、各都道府県単位での判断が求められるようになってきた。
それぞれの状況の違う地域での、行政の力と知恵が試されているともいえる。
失礼ながら、今まで、国が決めたことに乗っかって、上手にやることで、なんとなくやってきた地域もあるんじゃないかと思う。
それが、地域の人命と経済を守るという極めて難しい判断を、自らの責任でやらなくてはならない時代がやってきた。
国としては、地方があまり強い権限を持ってしまうのはやりにくいこともあるだろうから、今の事態を完全には歓迎していないのかもしれないけど。
とにかく、住民により近い存在が、もっと大きな声を出すことができるようになることが、役人時代のとーとの願いだった。それが、血の通った行政への道だろうと、分不相応なことを考えていた時代もあった。
ある意味、今回チャンスでもあるのかもしれない。
当然、国と地方は協力関係であって、対立関係ではないけれど、立場が違うんだから、様々な方面で、今まで以上の活発な議論が行われるようになればいいなあ。
長くなったが、最後に
国際間では、こんな中でも、覇権の拡大に向けた動き、責任をなすりあう動きがみられている。本来、人類全体の危機の中で、損得などほったらかして助け合わなくtれはならない状態だし、国際間の協調が進むチャンスでもあったわけだが、様々な思惑が垣間見えていると感じるのはとーとだけではないと思う。「甘い」のだろうか?
「ウィルスを撲滅」から、「ウィルスと共存」にと認識の変わっている中、生活の変化だけでなく、意識の持ち様も変わってゆくのだろうなあ。
変わらなくてはいけないのだと思うよ。
大きな社会の中では、「災いy転じて福となす」その機会がみえてきたなと 思えるこのごろである。
お母さんが倒れてたいへんなことになった上に、新型コロナウィルスの蔓延で気が抜けない状況にある とーと 個人も、「災い転じて福となす」チャンスの芽をしっかりつかまえられるようにしてゆかねば。
君がいてよかった。
今日はここまで。
轉禍為福~2(近況報告)
とーとです。
まだ、がんばってます。
遠距離通勤、家事、これからの準備。
帰宅してキーボードをたたく暇もなく、眠りにつく日々です。
職場や、お店でマスクをしている反動で、息苦しくて、つい無意識に、屋外でマスクをずらしたりしてしまい、花粉を大量に吸い込んで鼻が炎症をおこしました。
このままだと、免疫低下を招きかねないと思います。
気をつけなければ。
さて、
新型コロナウィルスの猛威が世界を覆っているよね。
お母さんが入院中なので、何より院内感染が心配だなあといつも話しているね。
お母さんは、リハビリをがんばっているけど、リハビリにも効果のある期間があるから、中断してしまわないようにこのまますすんでくれることを心から願っている。
そして、早く回復してほしい。「長期戦」ていうやつになりそうだけど。
でもって、
免疫をたかめるのには、
1.睡眠をしっかりとること
2.適度な運動をすること
3.栄養をしっかりとること
4.ストレスをためないこと
などだといわれているよね。
特に4は、「笑い」が効果的と言われている。
芸能界では、お笑いの世界の牽引車の一人だった 志村けん さんが亡くなられた。
悲しい限りだ。
テレビをつければ、暗いニュースばかりが流れている。
しかし、今だからこそ、笑わないといけないんだろうなあ。
不謹慎だと思ってはいけない。たいへんなときこそ笑わなくてはいけない。
日本人は、生真面目でシャイで冗談が通じない民族だと世界で思われている。
アメリカンジョークで 一人の美女と、国籍の異なる4人の男が無人島に流れ着いた話がある。
フランス人と美女は、恋人の関係になった。
イタリア人は、美女の愛人になった。
イギリス人は、紹介してくれる仲立ちに立つ人がいないので、口をきかなかった。
そして、日本人は、本社の指示を仰ぐためテレックスを打った。 そうだ。
出典によってバリエーションがあると思うけど。
しかしながら、江戸時代の川柳などでは、お上からの圧力や、生活の苦しさなどを笑いに変えてきた実績がある。
とーとは、あまり知識ないけど、現在でも
サラリーマンや高齢者の方などが、毎年優秀な作品を発表している。
そして 綾小路きみまろ 師匠も、これを「まくら」に、爆笑をとっている。
今年は、コロナを題材とした川柳がたくさんでてくるかなあ。
外出自粛の「ゆるみ」もあったにせよ、多くの人が、罰則のないなかで、それなりの注意と犠牲をはらって、耐えている。
そんななかで「アベノマスク」などと、政治を揶揄する気力は失っていない。
まあ、一家に2枚がどうなのかは、それぞれ受け止める人の考えではあるけど。
超まじめな話をしておく、
今回の経済支援措置について、おそらく「生活困窮者」というのが出てくる。
たぶん、多くの人はこの言葉の意味を深く考えることはないだろう。
想定されるのは
「生活保護」を受けている方 のほかに、きっと「住民税非課税世帯」などという言葉が入ってくるだろう。
気を付けなければならないのは、こういったとき、私たちの所得(収入)を把握する、もとになるデータは各市区町村の役所にあるものになる。
そして、このデータは、前の年の1年間のものになるということだ。
いまどれだけ生活が大変かではない。
預金がどれだけあるかでもない。
去年1年簡どれだけ稼いだかだけで判断されるけど、
それより前に、何らかの事情で稼ぐことができず、場合によっては負債をかかえて、返済に追われている人(借り入れが必ずしも自業自得のケースばかりではないよね)
子育てに大変で、出費の多い世代の人。
去年は収入があったけど、今の時点ではもう収入が見込めない事情がある人。(うちのお母さんみたいに、1月に病気で倒れてしまったケースもあるよ)
そんな事情で大変な人は、救済の対象から漏れることが多い。
そんなわけで、まず手厚くされるのは高齢者の方になる。
今現在はあまり働けないから収入が少ない。
若い時にがんばったから、年金もらってるし、満足いく額ではないけれど蓄えも、サギに騙し取られるほどの金額は持っている。
将来への不安は別として、今、早急には困っていないと思われる方が、生活弱者として手厚く救済される。
そして、子育て世代に比べれば支出は少なく、なんらかの給付があっても、経済への波及効果は少ない。
高齢者の方に厳しくしろと言うつもりはない。
今までの日本を、血みどろ汗みどろになって支えてきて、今になって、「働けるうちは働いてくださいね」などと言われる始末だし、今後の人生を締めくくるまでのことへの不安もあるのは間違いない。
でも、今を担っている人だって、明るい将来を描けている人はそう多くないような感じがする。
家や子育てで借金して、それを返して死んでゆくんだろうなあと漠然と思ってる人が多ければ、社会に活力は生まれない。少子高齢化も解決しない。
結局、若い世代が投票に行かないことも大きな要因の一つではあるだろうね。
公務員時代は
行政とは「公平」「公正」「中立」だとさんざん言われてきたが、「絶対的な公平」などありえないという確信をえた。あるのは「法の前の公正」だけだ。
今回のコロナの件でも、「困っている人を助けましょう」などと言っても、本当にどの人が困っているか判断するのはとても難しい。
だから、説明してきたような基準で、みんなをなんとなく納得させている。
個人的には、なにかくれるんなら、基準なしで、一人あたりを定額で支給するのが一番良いように思うんだけど乱暴かなあ。
まじめな愚痴はこれくらいにしておこう。
こんな、たわけたブログを書いている間も、多くの人が献身的に働いてくれている。
直接医療現場にかかわってくれている人。
不眠不休で、へとへとの状態で頑張ってくれている人。
我慢の生活を強いられているみんな。
心からありがとうございます。
そして、
収入が減ったり、店を閉めなくてはならなくなった人。
心ならずも感染してしまった人。
親族、知人を喪われた方。
希望を失わないでください。(私に言われても説得力ないかもしれませんが)
とにかくがんばりましょう。今を乗り切りましょう。
そして、なるべくなら、笑ってみましょう。
とーともへろへろのじょうたいだったけど、1か月新しい記事を載せないのに、毎日何人かの人がのぞいてくれているので、がんばって書いてみました。
相変わらずのたわけた内容ですが、不自由な生活の中の、暇つぶしにしてもらえればうれしいです。
今回の大きな災いから多くを学び、幸せな未来を考える力にしたいな。
災い転じて福となす。そうしなくてはいけないんだな。
次回はいつになるか不明。
今日はここまで。
轉禍為福~1(近況報告)
とーとです。
ごぶさたしております。
突然の出来事により、ブログを閉めてから、2か月近く経ちました。
この間にも、1日に10から20件ほどの方にご訪問いただいております。
過去の記事を見直してくれているのかなあ。
実名を明かさないことを条件に、このブログをはじめさせていただきました。
この約束は継続中です。
私のことを知っている方もいらっしゃるようですが、当たり障りのない程度に、事情を話しましょうか。
妻が、にわかに倒れました。
現在も入院してます。
私は、単身赴任でした。
そもそも、このブログを始めたのは、そう毎日会えない息子に、役に立たなくても、親父の、たわけた独り言を伝えておきたかったからなのです。
息子は高校生で、妻は入院中。
やむなく、遠距離通勤に切り替えて、通勤を自動車の渋滞のない時間帯に勤務をずらしていただくという、会社の好意に甘えて、今までなんとかやってきています。
妻が病に倒れたのは、大いなるわざわいでした。
しかし、私を、家にひきもどすきっかけになりました。
妻が回復したら、親子3人で暮らすことができる日がやってくるのだろうと思います。
お題を「禍転じて福となす」にさせていただいたのは、そんな願いを込めてです。
今、この国は、大きな災いの中にいます。
新型コロナウィルスの流行により、息子は学校がお休みになりました。
現在は、ウィルスより花粉を怖れて、外出を控える生活を送っています。
それにしても、花粉症の身には、マスクの不足は大問題です。
あっという間に売り切れましたね。たぶん、あるところにはあるのでしょうねえ。
私は、まだ少し残っていますが、いつ、通常に供給されるのか不安です。
妻が入院しているので、切実に感じるのは、医療現場への供給がまず第一だと思いますね。これはほんとに重要なこと。
でも、花粉で眠れない夜もつらいですよ。
個人的な印象ですが、あらゆることが、後手後手にまわっているような感じがします。
そして、例によって、いろんな人が、いろんなことを言っています。
インフルエンザとそう変わらない病気なのに大騒ぎしすぎだ!
子供が休みになると、仕事ができない!
観光業がお手上げだ!
株が下がった!
仕事ができない補償はどうするんだ!
トイレットペーパーがなくなるぞ! 誰だ、そんなデマをとばしたのは!
お湯を飲めば防げるぞ!デマばかりとばしやがって!
もっと早く手を打つべきだったんだ。早めに中国からの入国者をストップさせるべきだった!
なんで、病気が発生した中国のほうで、こちらからの入国を制限するんだ!
クルーズ船の中に、あんなに長時間閉じ込めるなんてひどい!そもそも意味ない!
国難だ!挙国一致で乗り切ろう!
冷静に!
マスクは手作りできる!
なんだか整理がつかない。何を信じてよいかわからない。
そこなんだよね。
このウィルスの正確なデータがつかめないし、わかるまでに時間がかかるから、どう対処してよいか誰も正解を言えないということが、不安を助長しいるよね。
そして、この国の右往左往には、現代社会のジレンマがみえてくる。
ほんとは、もっとはやめに、病気の発生源である中国からの入国者をもっと厳しく制限すべきだったという意見がある。
これは、今になってはまったくもっともなのだが、その当時の状態はどうだったか。
中国からの観光客でなりたっている産業が多いなかで、それで生活している人の生活を犠牲にして、まだはっきりわからない時点で断固とした措置がとれたのか。
観光に限らず、中国とこの国との経済的な結びつきは強い。工場をもっていたり、経済的な人的交流があったりは当たり前。「中国からの人を受け入れない。中国に人を派遣できない」ということは、経済における大打撃を与えることになる。
それでも、あの時点で、断固とした措置がとれていたのか?
今の政府を批判する野党も、「桜を見る会」の追求のほうに躍起になっていて、今日の姿を予見できず、危機を想定しての政府の準備姿勢をただす見識があったのか。
いまになって、いろんなことを言っている「専門家」の方々も、その当時、真剣に社会に対して大声で警鐘を鳴らすことができた人がいたのか。
政治は、私たちが選んだ政治家(議員)によって動かされる。これが、民主主義の大原則だ。
でも、これって、ある意味「大衆に媚びる」政治家を生んでいないだろうか。
本当に、私たちの未来を語れる人を私たちは選んでいるのだろうか。
経済の失速を招くような行為は、自分の不人気につながるから、身を捨てて国を救うような行為はできない。人気商売だから。
このまま、何もしないと無能扱いされる。人気が落ちてはまずい。
これでいいのかな。
そして、長期にわたっての官邸主導による政治体制により、政治家に媚びる官僚を生んではいないだろうか。誠意をもって、苦言を呈することのできる官僚が脇に追いやられていないだろうか。
この国が、本当によくなっていく道を語れる人が、それを語り、議論を戦わせて、ふさわしいリーダーを選んでゆくことができていないように思えてならない。
全世界の潮流ではあるけどね。
今こそ、私たちが選んできた政治家の手腕の発揮の場だと思うんだけど。
後でいいから、どの議員さんが、どのように、この局面で活動していたのか、選挙民としては確認しておく責任が私たちにはあると思う。私たちにも、未来を託す子供たちのための責任がある。
今回の「学校お休み」の措置(お願い?)も、正直どこまで効果があるのか、そして、事態はいつ終息するのかは、相手が未知なる病気である以上だれも正確なことは言えないと思う。
そんなこんな、あれこれ批判するけど、一度、自分が責任者になったらどう判断するのかじっくり考えてから発言しないとね。総理大臣をかばうつもりはないけど、相当苦しい選択のなかで、判断しているんだよね。それも大事。
私たちは、いろいろな意味で、今、大きな痛みを味わっている。そして、これは、相当に長期にわたってダメージを与えるものだろう。
これを、次に活かしてゆくことが、「災い転じて福となす」ことになると思う。
それは、単に、防疫とか危機対応にとどまらず、この国のありかたを、どのようにしてゆくのかが、私たちひとりひとりの意識の持ちようにかかっていることに改めて気づくきっかけにならなくてはならない。
久しぶりの今回、情勢がこんななので、何の冗談もなく持論を展開してしまった。
たいへんな目にあって、手を差し伸べてくれる、励ましてくれる、暖かな人がこんなにたくさんいたのかとしみじみ思う。そういう意味では、この国はまだまだ捨てたもんじゃない。
ほんとにありがたい。
できることを精いっぱいやります。
今まで以上に感謝してます。ありがとうございます。
そんなわけで、数少ない訪問者の皆様も、いろんなことが降ってきてると思いますが、地獄にも仏様はいます。
だから大丈夫です。
私たちも大丈夫です。
大変なめにあって、これを福に変えなければ、大変なめにあってる意味がないのですよね。
またお会いしましょう。
今度は、楽しいお話を(o^―^o)ニコ
今日はここまで。
快刀乱麻(かいとうらんま)~2 お知らせ
とーとです。
青天の霹靂(せいてんのへきれき)で、単身赴任から遠距離通勤になりました。
息子と、毎日顔を合わせるようになりました。
息子も成長著しく、今は親父が息子を頼る状態になっています。
ぶっきらぼうな受け答えも、成長を感じさせてくれます。
諸事情により、このブログを一時閉めます。
出来事は、いろいろな視点でみることができますが、お題の、快刀乱麻みたいな感じで、もつれていた糸が、一刀両断されたともいえるかなと思ったりもしています。
これまで、つたない文章で、写真もイラストもなく、ただ、思いを故事成語に託してつづってきました。
思いを、文にして、息子や覗いていただいた方々に伝えることができたこと。
消えてしまわない形で、残すことができたこと。
ありがたいと思っています。
事情は話せませんが、落ち着いたら、再開したい気持ちもあります。
その日がくるといいなあ。
もっと明るく楽しくなって戻ってきたいなあ。
願いはかなえるものです。
またお会いしましょう。
息子よ!これからも頼りにしてます!
数少ない読者の皆様ありがとうございました。
深く感謝しています。
また会える日を(^▽^)/
By とーと
快刀乱麻(かいとうらんま)〜1
とーとです。
あけましておめでとうございます。
などと始めましたが、実は、12月30日にこの原稿を書いてます。
雑誌の新年号は、12月の初めには店頭に並び、記事には「新春のごあいさつ」などのタイトルが書かれてますから、よしとしてください。
皆様の一部には、年賀状を「今年もよろしく」とか書いて、もうすでに、ポストに投函した方もいるんじゃないかな?
とにかく今現在、あわただしいです。
そして、新年もあわただしくなりそうです。
そういうわけで、元旦に、心落ち着けて、新たな気分で、キーボードの前に座り、
「さて、お題はなにからいこうか」
などと、ゆったりかまえていられないようです。
皆様も、年末年始と、お忙しく動かれて、ゆっくり休むどころではない方も多いでしょうね。
お仕事の方もいらっしゃると思います。
今は、一時、心を落ち着けて、新年の気分でメッセージを綴りたいと思います。
あらためまして、
あけましておめでとうございます。
ことしも、不定期に、おやじの「ぐだぐだ」を書きますので、よろしくお願いいたします。
お正月なので、明るい話題はないかと思いましたが、化石のようなギャグしか思い当たりません。
先代の 故 林家三平師匠のギャグ
「坊主が二人で歩いてて、オショウガツー」
すごく、くだらないでしょ?
でも、三平師匠がすごいのは、説明を省略して、インパクトを高めること。
普通は
「お坊さんが二人いるのはいつ? オショウガツー」
なのだけど、問いと答えという形式を度外視して、力技でもっていくもっていくのがすごいです。
そういえば、
「海に座布団が浮かんでて サブトン ザブトン」
というのもありましたね。
三平師匠がやったから、みんな笑ったのだと思います。
別の話
林家木久扇師匠の、お師匠さんにあたる「故 林家彦六 師匠」の逸話
彦六師匠は博識で有名だったそうです。
それで、噺家の若い人たちが、お正月のお餅にカビが生えてしまう訳を尋ねにいきました。
「師匠 お餅には、どうしてカビが生えるんでしょうね?」
「そりゃー おめー 早く食わねえからだ!」
これを、木久扇師匠は今でも時々高座にかけているらしいのですが、彦六師匠の形態模写と相まって、おちが分かっていても、思わずわらってしまうそうです。
お笑いって、どんなふうに語っても笑えるというものではないですね。
相手がいて、その場空気を読みながら、間合いや言葉遣いを微妙に変化させてゆくのだと思います。
だから、テレビやラジオのお笑い番組でも、ただテレビカメラやマイクの前で話すのではなく、お客様の前で話したのを放送してますよね。
深くは知りませんが、「古典落語」などは、お客様のほとんどがスートーリがあらかじめわかっているのだと思います。
そんな環境で、落語家の方は、どういった工夫で、楽しんで、満足いただいていただけるのか日々研鑽されているだと思います。
奥が深いですね。
笑わせる側と、笑う側があって、初めてお笑いが成り立ちます。
「屁を放って 可笑しくもなし 独り者」
そろそろ「お題」に入る。
「快刀乱麻(かいとうらんま)」
「快刀乱麻を断つ(かいとうらんまをたつ)」の方が本当かな。
王様が、自分の息子たちの力量を試そうと思った。(後継者を誰にするかの判断材料という面があったと思う)
絡まった糸のかたまりを渡して、元に戻すように言った。
他の息子たちが苦労する中で、一人の息子だけは、刀を抜いてこれを切ってしまい、
「乱れたものは、斬らなくてはなりません」
と言った。
王様は、この答えに満足したそうだ。
そして、この息子が、のちに王位を継ぐことになる。
「快刀」とは、良く切れる刀のこと。
「乱麻」とは、もつれた麻糸のこと。
アレクダンダー大王の伝説にこれに似た話がある。
「ゴルディアスの結び目」というんだけど。
丈夫な紐で複雑に結ばれた轅(ながえ:牛車を引くための棒)があり、
「この結び目を解いたものは、このアジアの王になるであろう」と予言されていた。
これに挑んだ人たちは、あまりの複雑さに、誰も解くことはできなかった。
そこに、遠征にやってきた「アレクサンダー大王」は、
剣をぬいて、その紐を一刀両断して、結び目を解いて? しまった。
そういう話である。
なぜ、新年に、こんなお題を持ってきたかというと、前の年に起きた、いろんなしがらみや、なにやらを
ばっさりと断ち切って、新たな気持ちでスタートしたいと思ったから。
何回か言うけど、私たちは、日々新しい自分を生きている。
「今を生きる」
言葉では簡単だが、なかなか、連続した迷いや苦悩を断ち切れずに、引きずって生きている。
日々を生き切っていると、逆に、次の俳句のような境地に行き着くのかもしれない。
「去年今年 貫く 棒の如きもの」高浜虚子
連続性はあるけれど、潔くて、しがらみとかをずるずるとひきずるのとは、程遠い境地が、とーとには感じられる。
境遇や人間関係はやはり、連続しているけれど、毎日を精一杯いきて、毎日を新しい気持ちで迎えるようになりたいなあ。
気持ち新たに。
今年もじゃなく、今年をよろしくおねがいします。
今日はここまで。
唇亡歯寒(しんぼうししん)〜2
とーとです。
息子が、少し、体調不良をうったえました。
たいしたことはないと思うし、元気に出かけてもいるので、心配はないと思うのですが、持ち前の心配性が出てしまい、急に不安になりました。
もし、自分より早く、息子がラーメン食べられなくなったらどうしょう!
不安で、朝早く目覚めてしまいました。
大げさに心配されて、息子もさぞかし迷惑なことでしょう。
すまん。
体が丈夫なことが親孝行の第一歩だと昔の人は言いました。
とーとも体が弱く、ずいぶんと親に心配をかけました。
特に、心の病にかかったときには、親はさぞかし心を痛めたことだろうと思います。
なにも言わず、見守ってくれていた母に、改めて申し訳なかったと思います。
また、いろいろな支度のため、昨年末から今年初めの記録を確認して、嫌な思いがよみがえってしまい、また同じようなことになるのかなあと不安に追い討ちがかかりました。
妻がYouTubeを見て語るのは
「過去をふりかえらない」
のが、重要なのだそうです。
確かに、私たちは日々新しいのです。
今日の私は、昨日の私とは違うのですよね。
しかし、そんなふうに思い切ることはできません。
誰かに、頭をなでてもらいたい。
「がんばってるね。大丈夫だよ」
そう言ってだきしめてもらいたい。
いい歳して、甘えてんじゃねーよ!!!
気を取り直して、お題の続きにゆく。
「唇亡びて歯寒し」
お隣さんとは、時としてトラブルになることもあるようだ。
国境を接している国同士も、トラブルが多いようだね。
「遠交近攻(えんこうきんこう)」という言葉もある。
地政学の本を大昔に読んだことがある。
ロシアという国が、冬に凍らない港を求めて、南へと進出しようとする志向を持っている国とされていた。
そして、日本という国は、朝鮮半島を経由して、大陸に進出してゆこうという志向を持っているという話だ。
どこまでそうかわからないけど、戦前の日本は、朝鮮半島を自国の領土としていたし(それで今でももめている)、豊臣秀吉もチャレンジして失敗した。
もともと、古代日本は朝鮮半島に領土があったようだし、一説には、皇室のルーツは朝鮮半島にあるという話も聞いたことがある。(あくまでも一つの説だからね)
そんなこんなで、白村江(はくすきのえ)の戦いなんかも起きている。
とーとの、あさはかな歴史観では、朝鮮半島は、中国の歴代王朝と日本との防波堤のような役割をしてきたように思うんだけど。
そんな隣国同士がいがみ合う今の状態は、あんまりいいことではないなあと思っている。
でも、今でもそうだけど、国同士は、自国の利権を保ち、拡大するために日々しのぎを削っているよね。
明治維新の原動力となったことのひとつに、「アヘン戦争」があるように思う。
当時の中国王朝が、イギリスとの戦争に敗れた事件は、欧米の国々の植民地にされてしまうことに対する危機感を、当時の日本の人たちに与えたといわれる。
その後も、侵略されないために戦い、利権と領土を広げていった一面があると思う。自国がおさえなければ、他国に奪われてしまう。
国際間には、確かに利権や欲望といった側面もあるし、なによりも、前にも言ったけど、とーとだって戦争なんて無くなって欲しいと思っている。
悲しいだけだ。でも、良くも悪くも人は「欲」がある。
仏教でいう「六道(りくどう)」とは、今の行いによって、生まれ変わる世界を表したものと理解されている。
でも、今、私たちが生きている世界の中に「六道」はあるような気がする。
「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天界」
特に今回思うのは「修羅(しゅら)」
戦いに明け暮れる世界。
人は、生き延びるために戦い続けてきた。
競いあわないと進歩できない悲しい宿命にある。
競技終了後に「ノーサイド」になればいいのだけど。
でも、勝っても負けても、次の戦いに向かって準備する。
負けたら終わりの世界ももちろんある。
君は世界に出てゆくのだろう。
今は、自国ファーストの潮流が強いけど、
君たちの世代には、国境なんてなくなるのかもしれない。
いろんな肌の色、髪の色、目の色人が、
いろんな考えを持った人が、
混じり合いながら世界を形作るのかもしれない。
みんなが豊かになれる社会がいつ来るのか。
来ないのか。
君には柔らかに生きていって欲しい。
まとまらない話になった。
今日はここまで。
唇亡歯寒(しんぼうししん)〜1
とーとです。
今年も残り少なくなりました。
数少ない読者の皆様に感謝申し上げます。
おかげで、このブログも、間隔をおきながらも、細々と続いています。
また、新しい年がやってきます。
先輩方には叱られそうですが、体と頭がいつまで保つのかなあ。
とにかく、タバコも吸わず、晩酌もせず、ギャンブルもせず、ゴルフや釣りもせず、息子とラーメン食べるのが唯一の楽しみです。
ラーメンのスープまで飲み干せる体が保てなくなるのと、息子に相手にしてもらえなくなるのとどちらが先なのだろうと、悲観的な気持ちになってしまう年の瀬です。
まあ、今のところ、美味しくいただけていることを、感謝して生きていくべきなのでしょうね。
明るく 楽しく
今回は、早めに本題に行こう。
「唇亡歯寒(しんぼうししん)」
「唇滅びて歯寒し(くちびるほろびて、はさむし)」と言えばわかる人はわかるよね。
2つの話があって、どちらが原典なのかとーとにはよくわからないので、2つとも紹介する。
多分それだけで、今回は終了すると思う。
脱線は次回しよう!
いつになるかは、相変わらず未定だけど。
episode1
「晋(しん)」という国が「虢(かく)」という国を攻めようとした。
そのためには、間にある「虞(ぐ)」という国を通らなくてはならない。
そこで、「晋(しん)」は、王様の宝物である名馬と璧を「虞(ぐ)」の王様に贈って、道を通らせてもらうようお願いした。
「璧(へき)」は、以前「和氏の璧(かしのへき)」で説明したけど、ざっくりいって宝石のこと。
すごいお宝だったから、最初は「晋(しん)」の王様は、それを手放すことを渋ったらしいが、家来に
「外の倉庫に置いてあるようなものですよ」
と説得されて、名馬と璧とを贈ることを承知した。
宝物を受け取った「虞(ぐ)」の王様は、喜んで、自国の道を「晋(しん)」の軍隊が通るのを承知しただけでなく、自分の国もいっしょになって、「虢(かく)」を攻めた。
1度目に「虢(かく)」の主要都市を滅ぼして、「晋(しん)」は、再び道を借りることを要請した。
「虞(ぐ)」の王様がこれを認めようとしたときに、家臣がいさめて言った。
「『虢(かく)』は、この国を守る壁のようなものです。『虢(かく)』が亡びれば、この国も必ず同じ道をたどるでしょう。『頬(ほお)とあごの骨は互いに持ちつ持たれつである。唇がなくなれば歯が寒さに耐えられず凍えてしまう。』と言われています。『唇歯輔車(しんしほしゃ)』というのは、我が国と『虢(かく)』との関係なのです」
「虞(ぐ)」の王様は、このいさめを聞かず、再び「晋(しん)」に道を通らせてしまった。
いさめた家臣は、家族を連れて、「虞(ぐ)」から出国してしまったそうだ。
「晋(しん)」は、「虞(ぐ)」の道を借りて「虢(かく)」を滅ぼした後、帰国の途中で、「虞(ぐ)」を攻めてこちらも滅ぼしてしまった。
先に贈った名馬と璧を取り戻した「晋(しん)」の王様は、
馬がたくましくなっているのを喜んだという説と、馬が老いているのを嘆いたという説とがあるけど、とにかく、2つの国を滅ぼして自国の領土を増やしたことは確かだ。
ただ、この頃の中国の国というのは、城郭に囲まれた都市と、そこに属する人民の集合体みたいなもので、「面」というより、「線」でつながっているようなものだったようだから「領土」という表現はあたらないかもしれないけど。
episode2
episode1の時代から長年経過すると、「晋(しん)」の国は分裂する。
「知(ち)」「韓(かん)」「魏(ぎ)」「趙(ちょう)」の大きく4つの家の勢力に分かれるが(他にもあったようだけど)、最も力があったのが「知(ち)氏」で、「韓(かん)氏」と「魏(ぎ)氏」とともに「趙(ちょう)氏」を攻めていた。
滅びる寸前となった「趙(ちょう)」の国の家臣は、ひそかに「韓(かん)氏」と「魏(ぎ)氏」の当主と合って説得した。
「唇が亡びれば歯は寒くなり凍えてしまいます。「趙(ちょう)」が滅んで「知(ち)氏」の力が大きくなれば、次に滅ぼされるのはあなたがた、いずれかの国でしょう」
これに納得した「韓(かん)氏」と「魏(ぎ)氏」の当主は、「知(ち)氏」を攻めることにした。
しかし、この裏切りに気付いた「知(ち)氏」の家臣(一族?)がいた。
それを「知(ち)氏」の当主に伝えたが、
「『趙(ちょう)』を滅ぼして、その領地を3つの家で分けようとしているのだ。もうじきその領土が手に入るというのに裏切るわけがない」
そう言って退けた。
家臣は、
「それでは、裏切りを防ぐ確実な方法があります。「韓(かん)氏」と「魏(ぎ)氏」の有力な家来に、「趙(ちょう)」を滅ぼした後に領土を分け与える約束をすることです」
そう提案した。
しかし、「知(ち)氏」の当主は
「そんなことをしたら、こちらの取り分が減ってしまう」
そういってとりあわなかった。
結果、「知(ち)氏」は、「韓(かん)」「魏(ぎ)」「趙(ちょう)」の3つの国に急襲されて、滅びてしまった。
以上。
疲れた‥。
やたらと、国の名前が出てきて読みにくかったと思う。
固有名詞はなるべく出さないようにしているのだけれど、「A国」とか「B国」とかするのも味気ないし、かえってわかりにくと思って、あえて、実際の国名で紹介した。「N国」なんて出てくるとますます混乱するね。
紹介だけで大量のエネルギーを消費して、カラータイマーが点滅をはじめた(古い!)
脱線は次回に譲り、風呂入って寝ることにする。
今日はここまで。