とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

塞翁馬(さいおうがうま)〜2

とーとです。こりずにやってます。

 

さて、「塞翁が馬」について前回書いたんだけど、書いているうちにふと思った。

たぶん、とーとの考えすぎだと思う。でも、言うだけ言ってみるね。

 

おじいさんは、馬が逃げた時、息子がけがをした時、本当はすごく悲しかったのではないか。

馬が名馬を連れて来た時は、本当は、飛び上がりたいほどうれしかったのではないか。

 

だけど、自分を落ち込ませたり、うかれたりしないように、あえて、普通の人とは反対のことを言ったんではないかなあ。という想像。あくまでも想像。

 

おじいさんは、先がみえていたのかどうか、本当のところはまったくわからない。

 

生きていると、色々な出来事にぶつかる。当たり前だよね。それが生きているということだもんね。

 

スピリチュアルの本など読むと、

もともと、私たちは、思うことは実現できる世界にいたが、あまりに退屈なので、困難にぶつかることを体験するように、ゲームランドのようにこの世界を作り、全ての記憶を消し去って、ゲームを楽しむために生まれて来たというようなことが書かれている。

 

そうなのかもしれない。

しかし、とーとは、前世の記憶どころか、昨日食べた夕食のメニューも記憶にないから、よくわからない。無責任だが、そうかもしれないし、ちがうかもしれない。そう言うしかない。

できれば、信じたいと思っているけど。その方が楽しいから。

 

出会った出来事に、いちいち心を動かされず、あるがままを、淡々と受け入れて生きて行くのも立派ではある。

とーとは、そんなことできないから、困った時には大騒ぎして、うれしい時には大はしゃぎする方が、自然でいいように思う。

大人になると、感情を表に出すのが苦手になる。というか、いちいち騒ぐのはみっともないからと、押さえつけるくせがついてしまう。我慢しているうちに、悲しくても涙が出なくなり、うれしくてもニヤリと笑うくらいですませ、怒りは押し殺して生きている。

 

見せない感情を察して、そっと言葉をかけてくれたり、さりげなく無視してくれたりする人はありがたいよね。

 

精神衛生上、誰も見ていないところで、隠れてでもいいから、思い切り笑ったり、泣いたり、わめたりするのがいいかもね。

先日、泣くのが精神に良い影響を与えるというので、「涙活(るいかつ)」というのを体験したけど、とても良かったよ。でも、やっぱり、がまんしてしまう自分がいたけど。

 

やっぱり、スピリチュアルの本に書かれているように、ぶつかる出来事を、楽しんで生きて行く方がいいね。

喜怒哀楽も、他人に迷惑がかからない程度には、表に出して行こう。人間だもの。

 

楽しく、明るく。

今日はここまで。