塞翁馬(さいおうがうま)〜2
とーとです。こりずにやってます。
さて、「塞翁が馬」について前回書いたんだけど、書いているうちにふと思った。
たぶん、とーとの考えすぎだと思う。でも、言うだけ言ってみるね。
おじいさんは、馬が逃げた時、息子がけがをした時、本当はすごく悲しかったのではないか。
馬が名馬を連れて来た時は、本当は、飛び上がりたいほどうれしかったのではないか。
だけど、自分を落ち込ませたり、うかれたりしないように、あえて、普通の人とは反対のことを言ったんではないかなあ。という想像。あくまでも想像。
おじいさんは、先がみえていたのかどうか、本当のところはまったくわからない。
生きていると、色々な出来事にぶつかる。当たり前だよね。それが生きているということだもんね。
スピリチュアルの本など読むと、
もともと、私たちは、思うことは実現できる世界にいたが、あまりに退屈なので、困難にぶつかることを体験するように、ゲームランドのようにこの世界を作り、全ての記憶を消し去って、ゲームを楽しむために生まれて来たというようなことが書かれている。
そうなのかもしれない。
しかし、とーとは、前世の記憶どころか、昨日食べた夕食のメニューも記憶にないから、よくわからない。無責任だが、そうかもしれないし、ちがうかもしれない。そう言うしかない。
できれば、信じたいと思っているけど。その方が楽しいから。
出会った出来事に、いちいち心を動かされず、あるがままを、淡々と受け入れて生きて行くのも立派ではある。
とーとは、そんなことできないから、困った時には大騒ぎして、うれしい時には大はしゃぎする方が、自然でいいように思う。
大人になると、感情を表に出すのが苦手になる。というか、いちいち騒ぐのはみっともないからと、押さえつけるくせがついてしまう。我慢しているうちに、悲しくても涙が出なくなり、うれしくてもニヤリと笑うくらいですませ、怒りは押し殺して生きている。
見せない感情を察して、そっと言葉をかけてくれたり、さりげなく無視してくれたりする人はありがたいよね。
精神衛生上、誰も見ていないところで、隠れてでもいいから、思い切り笑ったり、泣いたり、わめたりするのがいいかもね。
先日、泣くのが精神に良い影響を与えるというので、「涙活(るいかつ)」というのを体験したけど、とても良かったよ。でも、やっぱり、がまんしてしまう自分がいたけど。
やっぱり、スピリチュアルの本に書かれているように、ぶつかる出来事を、楽しんで生きて行く方がいいね。
喜怒哀楽も、他人に迷惑がかからない程度には、表に出して行こう。人間だもの。
楽しく、明るく。
今日はここまで。