とーと通信

50代後半の父親が息子に語るブログです。よろしければご覧になってください。

海大魚(かいたいぎょ)〜2

とーとです。

今日は、手短にします。

故事成語のお題はは、まだまだあるのですが、それに伴う雑談が思いつかないのですよ。

同じことばかりくどく言ってもねえ‥。

 

海大魚(かいたいぎょ)の続きです。

 

海では無敵の大きな魚も、水のないところでは何もできない。

 

この例えに、大臣は、自分の立場というものを再認識したのだね。

王様の信頼あっての自分なのだと。

本国を留守にして、領地のことにばかりかかわっていると、本来の自分のいるべきところをおびやかす存在が現れる。油断はできない。

 

国にいて、大臣の位にあり、王様の信頼を得ていれば、城壁を作らなくても、敵が攻めてきたら、本国から、救援の兵隊をよこしてもらえばよい。

 

自分が本当にいる位置を、しっかりわかっている人は意外に少ないのかもね。

 

逆に「水を得た魚」という言葉があるなあ。

 

いま、とーとは、水の中にいるのだろうか、陸の上であえいでいるのだろうか。

君は、自分のいるべき「水の中」にたどりつけるだろうか。

 

今思えば、とーとの最初の就職口は、水の中ではなかったなあ。

就職したばかりの時には、本当に嫌で嫌で仕方がなかった。

「石の上にも3年」という。しばらくすると慣れては来る。ここなのかなあと思い始めたりもする。

しかし、そこではなかったのだね。

まじめにやってたから、それなりの評価は受けていた。

しかし、心休まるいとまがなかった。

全てのクレームをまじめに受け止めて、結局何もできなかった。

苦しかったなあ。

 

また、新たな水の中らしきものに移り、少し時間が経過した。

ここが、水の中なのか、陸の上なのかまだわからない。

今さら、また、新しい水たまりに行ける年齢でもないと思っている。本当は年齢など関係ないとも思うけど。

水の中だとしても、小さな水たまりだから、居心地は、自分の力である程度変えられるのだろうね。

 

時と場所を得ることができないと、自由に飛ぶことが難しい。

無理やりこじ開けちゃう、パワフルな人もたまにはいるけどね。

 

君の将来が、充実に満たされたものでありますように。

良き場所と、良き時と、良き人たちに恵まれますように。

 

今日はここまで。