他山之石(たざんのいし)〜2
とーとです。
腹が減ってはいくさができぬ。
いつまでも、おいしくご飯が食べられますように。
ほかに、あんまり楽しみがないもんね。
だんだん、年齢とともに、食べ物に制限を受けることが出てくるのをとても恐れています。
どうか、元号が変わろうとなんだろうと、いつまでも、ラーメンが食べられますように。
スープまで飲み干せますように。
さて、「他山の石」について。
よく考えると、この言葉は、他人の言動を、自分の内側に向けていくという考え方にある。
このごろは、とにかく、自分に関係ない他人の言動に批判の言葉を集中させて、「炎上」させたりしている。
「いいね」がほしくて、犯罪まがいのことをしでかしたりもする。
(「いいね」は、このブログではまだもらったことがない…。いいかげんあきらめた)
そういう時代になったといえばそれまでの話だ。
むかし、とーとが幼かった時代までは、
「胸の内にとどめておく」
そういう思想があったように思う。
いい意味での「奥ゆかしさ」
時代遅れなんだろうなあ。
言いたいことを言うのはいいけど、言う資格が自分にあるのかよく考えておく必要もあると思うのだがどうだろう?
言論は自由だが、ときにそれが他人を傷つけたりもする。
世間様に迷惑をかけちまったりもする。
自由には、それなりの代償が伴うのだね。
よく考えて発信しないといけないなあと、
身分を明かさずブログを書いているとーと自身も感じている。
とーとも、匿名での発信という、無責任さを、自分でも行ないながら、昨今のご時世を批判していることについての、後ろめたさは常にある。
発信は必要だと思う。
いいにつけ、悪いにつけ、それが元になって世の中は進んで行く。
だが、それと同時に、自分をかえりみる「内省(ないせい)」という行為も、ますます重要になると思う。
他人の言動を、自分に活かそう。
振り回されないようにしてだけど。
まだ若い君は、いろんなきっかけで、自分自身を活かす道がひらけている。
まばゆく光り輝く「玉」になる可能性を秘めている。
まもなく「平成」から「令和」に元号が変わる。
何が変わるのだろうか。
時代は常に動いている。
変わらなかった時はなかった。
そして、変化のスピードはどんどん加速しているような気がする。
ただ私たちの意識の中での、大きな、ひとつの大きな区切りというか、目安みたいなものにはなっていくのかもしれない。
時の流れに、変化して行く世界に、流されるのも、ある程度は仕方ないようにも思う。
でも、やっぱり自分が主人公。
いい人生を送るためにも、「自分をかえりみること」
それを忘れないでほしい。
今日はここまで。